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クアナ・パーカー : ミニ英和和英辞書
クアナ・パーカー[かー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car

クアナ・パーカー : ウィキペディア日本語版
クアナ・パーカー[かー]

クアナ・パーカー(、1840年代後半-1911年2月23日)は、19世紀後半のアメリカ・インディアンの指導者である。コマンチェ族インディアン酋長ペタ・ノコナとヨーロッパ系アメリカ人女性シンシア・アン・パーカーの息子であり、クァハディ・コマンチェ族最後の酋長になった。
== 青年時代から指導者へ ==
クアナ・パーカーの母、シンシア・アン・パーカー(1827年頃生まれ-1870年)は、1830年代にテキサス東部に入植した大家族パーカー家の一員だった。1836年に今日のテキサス州グロースベックに近いパーカー砦へのコマンチェ族の襲撃時に同族によって捉えられた。ナドゥア(見つかった者)というインディアンの名前を与えられ、コマンチェ族ナコナ・バンドに養われた。その後、コマンチェ族戦士でメキシコ人捕虜だったノコニー(別名ターコンネアーペアー、白人からはペタ・ノコナと呼ばれた)と結婚した。クアナ・パーカーは最初に生まれた息子だった。他にも息子ペコス(ペカン)と娘トプサナ(プレーリー・フラワー)が生まれた。1860年、シンシア・アン・パーカーはピース川の戦いの時に、ローレンス・S・ロスが指揮するテキサス・レンジャーズに捕獲された。ロスの部隊が攻撃したとき、ペタ・ノコナやクアナ・パーカーなど男性の多くは狩りに出ていた。彼等は戻ってきて戦闘の跡を見付け、生き残った者が少なかったので何が起こったか情報を得るのが難しかった。一方シンシア・アンは元の白人の家族の元に戻ったが、コマンチェ族と長年過ごしたために別の人格になっていた。しばしば夫の元に戻してくれるよう要求したが、その許可は得られなかった。トプサナが1863年に病気で死んだ後、シンシア・アンは食を断って1870年に死んだ。
ピース川の戦いから間もなく、ペタ・ノコナはやけになり、冷酷な男になったと言われた。後にアパッチ族に対する襲撃時に負傷した。既に健康を害し、古傷にも悩まされたペタ・ノコナは間もなく死んだ。その生前にクアナに、母が白人から捕まえてきた者であることを伝えた。この事実が明らかになったことでクアナは混血であると種族の他の者から蔑まれるようになった。ノコナの死によりそのバンドは分裂した。クアナはデスタンユカ・バンドに加わり、ワイルドホース酋長がクアナを庇護下に置いた。クアナは戦士としてかなり優れたものになったが、デスタンユカ・バンドの中では居心地が悪かった。クアナはバンドを離れて、他の種族の戦士と共にクァハディ(アンテロープを食べる人)・バンドを形成した。クァハディ・バンドは数が増えてコマンチェ族のバンドの中では最大となり、しかも最も悪名高くなった。クアナはクァハディ・バンドの指導者となり、数年間はバンドに属する者達をうまく率いていた。
1867年10月、クアナはメディシンロッジでコマンチェ族の酋長達と会った。クアナはオブザーバーの立場だったので発言しなかったが、メディシンロッジ条約に署名しないことについては態度を明らかにした。他のバンドが署名する中で、クアナのバンドだけは自由だった。
1870年代初期、平原インディアン達はその土地を巡る戦闘に敗れていた。カイオワ族酋長のサタンク、アドーエッタ(ビッグツリー)およびサタンタ(ホワイトベア)が捕まえられた後、カイオワ族、コマンチェ族およびシャイアン族は合同して何度か戦った。アメリカ軍のラナルド・S・マッケンジー大佐が派遣されて、居留地に入らないインディアンをすべて根絶するように命令された。
1874年、テキサス州のパンハンドル地区で、イサタイという名のコマンチェ族予言者が各部族を呼び集めて、数人のバッファローハンターが活動しているアドビウォールズを襲わせた(第二次アドビウォールズの戦い)。クアナはカイオワ族の酋長ビッグボーと共に1隊の戦士を率いた。この戦闘でクアナは2発の弾を受け、死ぬ寸前までいった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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