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ギーゼラ・フォン・エスターライヒ : ミニ英和和英辞書
ギーゼラ・フォン・エスターライヒ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ギーゼラ・フォン・エスターライヒ : ウィキペディア日本語版
ギーゼラ・フォン・エスターライヒ[ちょうおん]

ギーゼラ・ルイーゼ・マリー・フォン・エスターライヒ(, 1856年7月12日1932年7月27日)は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリーザベトの第2皇女。ルドルフ皇太子マリー・ヴァレリーの姉。
ウィーン近郊のラクセンブルクで生まれる。妊娠中の母エリザベートは、「今度こそ皇太子を」とのプレッシャーに襲われた。生後10ヶ月の時に両親と姉ゾフィー皇女とともにブダペストへ移る。その際、発熱や下痢はあったが、無事ウィーンへ戻った。幼少期は祖母ゾフィーに弟ルドルフと共に育てられたため、母エリーザベトにはなつかなかった。
1873年にバイエルンの摂政王子ルイトポルトの次男で、後のバイエルン王ルートヴィヒ3世の弟であるレオポルト王子と16歳で結婚した。この時、母エリーザベトは「16歳で結婚は早すぎる」と夫フランツ・ヨーゼフ1世に母として親心を見せたりもした。
夫レオポルトとの夫婦仲は良好で、間に以下の2男2女をもうけた。
*エリーザベト(1874年 - 1957年) - ゼーフリート・アウフ・ブッテンハイム男爵オットーと結婚。
*アウグステ(1875年 - 1964年) - オーストリア大公ヨーゼフ・アウグストと結婚。
*ゲオルク(1880年 - 1943年) - オーストリア大公女イザベラと結婚し、後に離婚。
*コンラート(1883年 - 1969年) - ジェノヴァ公女ボナ・マルゲリータと結婚。
母エリーザベトの死後、遺産の5分の2を相続した。1932年にミュンヘンで死去し、聖ミヒャエル教会で夫レオポルトの傍らに葬られた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ギーゼラ・フォン・エスターライヒ」の詳細全文を読む




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