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キャサリン・オブ・ヴァロワ : ミニ英和和英辞書
キャサリン・オブ・ヴァロワ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


キャサリン・オブ・ヴァロワ : ウィキペディア日本語版
キャサリン・オブ・ヴァロワ

キャサリン・オブ・ヴァロワ(Catherine of Valois, 1401年10月27日 - 1437年1月3日)は、イングランドヘンリー5世の王妃で、ヘンリー6世の母。フランス名はカトリーヌ・ド・ヴァロワ(Catherine de Valois)、またはカトリーヌ・ド・フランス(Catherine de France)。フランスシャルル6世と王妃イザボー・ド・バヴィエールの末娘。弟にフランス王シャルル7世、姉にイングランド王リチャード2世の王妃イザベラ・オブ・ヴァロワがいる。
== 生涯 ==
たびたび精神異常に陥る父と、悪妻と名高い母の間で、キャサリンら幼い王子や王女はまともに育てられなかった。王妃が宮廷費を使い込むため、王子王女らは衣食にも事欠き、窮状を見かねた宮廷官により、北フランスのポワシーにある修道院に預けられるほどであった。
キャサリンとヘンリー5世の結婚は、ヘンリー4世在位時から持ち出されていた。しかし、キャサリンの姉イザベラが命からがらフランスへ逃げ帰ってくるような目に遭っていたため、フランス側が強く反発していた。
1415年のアジャンクールの戦いでイングランドが大勝すると、その戦果としてヘンリー5世はフランス王位継承権とキャサリンとの結婚を求めた。ヘンリー5世が次々と領土を拡大し、現在のフランスの半分に及ぶ領域を押さえると、フランス側はこの屈辱的条件を呑んだ。
1420年6月、2人はトロワで結婚した。翌1421年12月、キャサリンはウィンザー城で王子ヘンリー(のちのヘンリー6世)を出産した。
1422年8月、ヘンリー5世が赤痢で亡くなると、結婚から2年余りで未亡人となった王太后キャサリンは、政治の実権は握らずにベイナーズ城へ移った。一方で、自分付きの秘書官オウエン・テューダーと通じるようになり、オウエンとの間にエドマンドジャスパーら3男1女をもうけた。エドマンドの息子ヘンリーが、のちのヘンリー7世である。
1437年1月3日、バーマンジー僧院で病没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「キャサリン・オブ・ヴァロワ」の詳細全文を読む




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