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ガブリエレ・ミュンター : ウィキペディア日本語版
ガブリエレ・ミュンター[ちょうおん]

ガブリエレ・ミュンターGabriele Münter1877年2月19日ベルリン1962年5月19日ムルナウ(de))はおもにドイツで活躍した表現主義の女流芸術家で、ミュンヘン新芸術家協会及び青騎士のメンバー。絵画に加えて版画による創作活動もした。また、ヴァシリー・カンディンスキーのパートナーとしても知られる。彼女はカンディンスキーの作品のかなりの部分を第二次世界大戦中から戦後にかけて災難から守り、後には青騎士の芸術家仲間の作品と自分自身の作品とを広く一般に公開した。
==生涯==

===両親===

ガブリエレの父カール・ミュンターはヴェストファーレンの商人で牧師の家庭出身であった〔ヘルムート・フリーデル、森要造(1996)p.p.196-201、ミュンターの年譜。ただしこれはレンバッハハウス・ミュンヘン市立美術館編集による年譜の邦訳である。〕。しかし1848年革命に参加した彼は、その政治思想を危険視した家族の手でアメリカに追いやられた。彼はアメリカで歯科医師として生活を営み、10年たたないうちに裕福な身分となってドイツ人女性ヴィルヘルミーネ・ショイバーと結婚した。だが、自由を愛した夫妻は、南北戦争の嵐吹き荒れる政情不安の合衆国を去り、ベルリンのウンター・デン・リンデンにある大きな屋敷に移った〔マリサ・ヴォルピ・オルランディーニ、乾由明(1974)p.97〕。(以下、本項で扱うガブリエレ・ミュンターを指してミュンターと記す)


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガブリエレ・ミュンター」の詳細全文を読む




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