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ガブリエラ・サバティーニ : ミニ英和和英辞書
ガブリエラ・サバティーニ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ガブリエラ・サバティーニ : ウィキペディア日本語版
ガブリエラ・サバティーニ[ちょうおん]

ガブリエラ・ベアトリス・サバティーニ(Gabriela Beatriz Sabatini、1970年5月16日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元女子プロテニス選手。1990年全米オープン女子シングルス優勝者である。
ボールに回転を多くかけた、重いトップスピン(順回転)のグラウンド・ストロークを得意にした選手だった。シングルス自己最高ランキングは3位。WTAツアーでシングルス27勝、ダブルス13勝を挙げた。
美貌と親しみやすい人柄で幅広い人気を持ち、「ガビー」(Gaby)の愛称で呼ばれていた。
== 経歴 ==
サバティーニ姓はイタリア南部に起源を持つ。
1985年1月に14歳でプロ入り。その3か月後、いきなり「ヒルトンヘッド」大会でクリス・エバートとの決勝戦に勝ち進み、全仏オープンでエバートとの準決勝に進出した。同年10月に日本の「ジャパン・オープン」でプロ初優勝を果たす。それから4大大会でベスト4の常連になったが、勝負所で精神的な弱さが出て、決勝進出を逃すことが多かった。1988年全米オープンで初の4大大会決勝進出を果たすが、ライバルのシュテフィ・グラフに競り負け、グラフの「年間グランドスラム」達成を目撃することになった。続くソウル五輪決勝でもグラフに敗れ、銀メダルに終わる。金メダルを獲得したグラフの偉業は「ゴールデン・スラム」と名づけられた。
2年後の1990年に、サバティーニは全米オープン決勝でグラフを 6-2, 7-6 のストレートで破り、宿願の4大大会初優勝を達成した。当時のコーチ、カルロス・キルメイヤーの手ほどきにより、積極的なネット・プレーが功を奏した勝利だった。それからライバルのグラフに5連勝したが、翌1991年ウィンブルドン選手権で3度目の4大大会決勝戦に進出した時、そのグラフに 4-6, 6-3, 6-8 の大激戦で競り負けた。これが結果的にサバティーニの最後の4大大会決勝戦となり、以後は再びベスト4止まりに逆戻りした。
グラフとはシングルスで「11勝29敗」の対戦成績を残し、彼女に10勝以上を挙げた唯一の選手として記録に残っている。またグラフとサバティーニはダブルスでパートナーも組み、1988年ウィンブルドンの女子ダブルス部門で優勝を飾った。
サバティーニはまた、1991年の「バージニア・スリムズ・オブ・ロサンゼルス」大会の準決勝をきっかけに、同じ年に当たる日本の伊達公子選手と対戦する機会も多くなった。1994年11月、伊達が日本人女子選手として初めてWTAツアー選手権(当時の名称は「バージニア・スリムズ選手権」)に出場資格を得た時、準決勝で彼女の前に立ちはだかったのはサバティーニだった。1995年3月の「リプトン国際選手権」準決勝では伊達が 1-6, 7-6, 7-6 の逆転勝利を収めている。
日本の試合ではプロ初優勝となった1985年のジャパン・オープンのほかに、「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」でも1987年1991年1992年の3度優勝を飾っている。
サバティーニのキャリアに陰りが見え始めたのは、1993年全仏オープン準々決勝敗退の頃からである。この時サバティーニは若い頃から苦手意識の強かったメアリー・ジョー・フェルナンデスアメリカ)に 6-1, 5-1 とリードしていたが、ここからフェルナンデスに追いつかれ、その結果 6-1, 6-7, 8-10 で大逆転負けを喫してしまう。サービスの改善がサバティーニの長年の課題であったが、なかなかうまくゆかず、挙げ句の果てに慢性の腹筋痛を抱えることになった。(テニスのサーブは、とりわけ腹筋にかかる負担が大きい。)1996年10月に26歳の若さで現役引退を決断する。11月第3週にアメリカ・ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンWTAツアー選手権が開催された時、サバティーニと伊達公子の2人のために「引退式典」が開かれた。
現役選手時代にはファッションモデルとしても活躍し、自分のブランドの香水も発表している。
2006年7月15日、サバティーニはアルゼンチンのテニス選手としてギレルモ・ビラス以来2人目の国際テニス殿堂入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガブリエラ・サバティーニ」の詳細全文を読む




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