翻訳と辞書
Words near each other
・ カール・ベア
・ カール・ベウクス
・ カール・ベォーレット
・ カール・ベッカー
・ カール・ベッカー (宗教学者)
・ カール・ベック
・ カール・ベッツ
・ カール・ベヒシュタイン
・ カール・ベルナドッテ
・ カール・ベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ
カール・ベルンハルト・フォン・トリニウス
・ カール・ベンツ
・ カール・ベンドリンガー
・ カール・ベーム
・ カール・ベーレト
・ カール・ペータース
・ カール・ホブランド
・ カール・ホルムストレーム
・ カール・ホーエンヴァルト
・ カール・ホール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カール・ベルンハルト・フォン・トリニウス : ミニ英和和英辞書
カール・ベルンハルト・フォン・トリニウス[かー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カール・ベルンハルト・フォン・トリニウス : ウィキペディア日本語版
カール・ベルンハルト・フォン・トリニウス[かー]

カール・ベルンハルト・フォン・トリニウス(Carl Bernhard von Trinius, 1778年3月7日 - 1844年3月12日)はドイツ医師植物学者詩人である。ロシアで働き、皇太子アレクサンドルの侍医、家庭教師を務めた。
==生涯==
アイスレーベンで生まれた。父親はプロテスタント牧師のヨハン・アントン・トリニウス (Johann Anton Trinius)、母親はホメオパシーの創始者とされるザムエル・ハーネマンの妹である。6歳で父ヨハンを失い、母親は教師と再婚した。1792年からイェーナ大学ハレ大学ゲッティンゲン大学医学を学び、また植物学にも興味を持った。1802年に医師の資格を得た後、バルト地域に移り、ラトビアのHasenpoth(現Aizpute)で詩人のウルリヒ・フォン・シュリッペンバッハ(Ulrich von Schlippenbach, 1774年 - 1826年)らと知り合った。1808年にヴュルテンベルク家の公爵夫人アントワネット (Antoinette von Württemberg) の個人医となった。植物学の研究を行いながら、公爵夫人が没するまで、治療のためにドイツとロシアの間を何度も旅した。
1810年にサンクトペテルブルクの帝国科学アカデミーの外国人会員となり、1823年には一般会員に選ばれた。ナポレオン戦争中の1811年から1815年の間、公爵夫人とともにサンクトペテルブルクに滞在し、1822年までビテプスクに住んだ後、サンクトペテルブルクに移住し、公爵夫人の死後はロシア皇室の医師、1833年までアレクサンドル皇太子の自然史の家庭教師となった。1830年ころからホメオパシーの研究を行い、ハーネマンと定期的に連絡を取り合った。
1837年から1838年の間、ドイツ各地の植物園を巡り旅行を行ったが、1837年にミュンヘンで、1838年にドレスデン脳梗塞を起こした。1844年に心不全によりサンクトペテルブルクで死去。彼の収集したコレクションは、自らが創立者の一人である帝国サンクトペテルブルク植物園(現在のコマロフ植物研究所:Ботанический институт им. В.Л.Комарова РАН)に寄付された。
セリ科の属名、 トリニア属 (Trinia) に献名されている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カール・ベルンハルト・フォン・トリニウス」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.