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カンペチェ : ウィキペディア日本語版
カンペチェ

カンペチェ(Campeche)は、メキシコ湾岸にあるメキシコの都市で、カンペチェ州の州都である。2005年国勢調査での人口は211,671人だが、都市圏としての人口は238,850人である。スペイン植民地時代に築かれた城壁要塞などの防衛施設群が評価され、ユネスコ世界遺産に登録されている。
== 歴史 ==
カンペチェはスペインのコンキスタドールたちによって1540年に「サン・フランシスコ・デ・カンペチェ (San Francisco de Campeche) 」の名で建設された都市で、以前に存在していたマヤ人の都市カンペチュ(Canpech)もしくはキンペチュ(Kimpech)の上に築かれた。マヤ語では「ヘビダニの地」を意味していたとされる〔『コンサイス地名辞典・外国編』1977年、青柳正規監修『ビジュアルワイド世界遺産』小学館、2003年、p.452〕。コロンブス到達以前に存在していた都市は、3,000の住居と様々な記念建造物を擁していたとされるが、その痕跡はほとんど残されていない。
2006年に発見されたカンペチェの墓地は、エルナン・コルテスがマヤ人やアステカ人を服属させて間もなく、アフリカ人奴隷たちが連れてこられたことを示唆している。墓地は1550年頃から1600年代後半まで使われていたものだった〔Skeletons Discovered: First African Slaves in New World . January 31, 2006. LiveScience.com. Accessed September 27, 2006.〕。
カンペチェは、1840年代には人口約21,000人を数えていた。19世紀半ばにシサル、次いでプログレソに取って代わられるまではユカタン半島における主要な港だったのである。歴史的に見れば、20世紀の終わりにキンタナ・ロー州の発展が凌駕するまで、ユカタン半島では規模・重要性ともメリダに次ぐものであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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