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カルラエの戦い : ミニ英和和英辞書
カルラエの戦い[かるらえのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

カルラエの戦い : ウィキペディア日本語版
カルラエの戦い[かるらえのたたかい]

カルラエの戦い(カルラエのたたかい、Battle of Carrhae)は、紀元前53年にカルラエ(現:ハッラーン)で行われたローマ軍とパルティア軍の戦い。第一次パルティア戦争の最終局面であり、パルティアが勝利を収めた。
== 背景 ==
紀元前55年マルクス・リキニウス・クラッススは、グナエウス・ポンペイウスと共に務めたコンスル(執政官)の任期を終えた。当時、クラッススはポンペイウス、ガイウス・ユリウス・カエサルと共に第一回三頭政治を行い、2度の執政官を務めて政治的な実績を重ねていたが、第三次奴隷戦争を鎮圧して以来ほぼ20年間、軍事的には目立った実績が無かったため、パルティア遠征を考えた。ローマとパルティアではまだ国境線がはっきりしていなかった。元老院は遠征しないように説得したが、カエサルとポンペイウスが賛成したので、元老院はしぶしぶ納得した。
クラッスス率いるローマ軍は紀元前55年の終わりにシリア属州アンティオキアに到着した。アルメニアアルタウァスデス2世は参戦を約束、アルメニア領内を通ってパルティアを攻撃するように助言したが、クラッススはこれを断り、シリアから東に進んでユーフラテス川を渡ると、南東の砂漠地帯を進んでパルティアへ向かった。このルートだと、ユーフラテス川沿いに進むより行軍の負担が大きくなるが、早くアルメニア軍と合流できるという利点があった。
迎え撃つパルティア王オロデス2世は軍隊を2分し、自らは歩兵や重装騎兵といった正規軍を率いてアルメニア攻撃に向かい、部下のスレナスにはスレナス自身の私兵でクラッスス迎撃に向かわせた。この私兵はほとんどが弓矢を装備した軽騎兵であった。
クラッススはユーフラテス川を渡り終えたところでアルメニアから不参戦を伝えられた。しかしこれを聞いてもクラッススは行軍ルートを変えていない。ローマ兵達は脱水症状熱射病から衰弱した。ちなみにこの連絡の後、ローマ軍の道案内をしていたアラブ人が姿を消している。
数日後、ローマ軍はカルラエ近郊で早くもパルティア軍と遭遇した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルラエの戦い」の詳細全文を読む




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