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カナディアン号 : ミニ英和和英辞書
カナディアン号[ごう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ごう]
  1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name 

カナディアン号 ( リダイレクト:カナディアン (列車) ) : ウィキペディア日本語版
カナディアン (列車)[ごう]

カナディアン()は、もともとカナダ太平洋鉄道(Canadian Pacific Railway, CP)が1955年から1978年にかけて運行していたカナダ大陸横断旅客列車である。現在は都市間旅客列車としてVIA鉄道により、オンタリオ州トロントのと、ブリティッシュコロンビア州バンクーバーのを結んで運転されている。1990年以降、カナダ太平洋鉄道時代の「カナディアン」とはまったく異なる、北にあるカナディアン・ナショナル鉄道の本線を経由して運行するようになり、レジャイナカルガリーではなくサスカトゥーンエドモントンを通るようになった。またカナダ太平洋鉄道時代に比べてかなり遅くなり、また1990年までのようにモントリオールオタワへは運行されなくなった。1955年以前は、「カナディアン」の名はカナダ太平洋鉄道のモントリオールとシカゴを結ぶ夜行列車に使われていた。
== カナダ太平洋鉄道時代 ==

第二次世界大戦後、カナダ太平洋鉄道の旅客列車は、その看板列車である大陸横断の「」やそれより東部へ向かう「」であっても、戦前製の重量客車と戦前・戦後期の軽量客車の混成で編成されていた。これらの車両は十分使用に耐えるものであったが、1950年代初頭のアメリカの列車は「カリフォルニア・ゼファー」のように、既に流線形オールステンレス車両となっており、を備えた展望車を連結していた。ゼネラル・モーターズ・ディーゼルおよびプルマン・スタンダードのデモンストレーションである「トレイン・オブ・トゥモロー」(Train of Tomorrow) の特色であったドームカーを1949年に評価した後、カナダ太平洋鉄道の副社長であったを含めた経営陣は車両の更新を決断した。1953年にフィラデルフィアバッド 社に対して、18両の編成末尾のドームカー(パークシリーズ)、18両の編成中間ドームカー(スカイライン)、30両の座席車、18両の食堂車、71両の寝台車(メイナーおよびシャトーシリーズ)からなる合計155両のステンレス車両を発注した。これに引き続いて18両の荷物車兼乗務員車を発注して最終的に合計173両となり、新しい大陸横断列車を構成し、また「ザ・ドミニオン」の一部の車両を更新するために充分な数となった。内装のデザインは、フィラデルフィアの建築設計会社ハーブソン・ホー・リビングストン・アンド・ラーソン (Harbeson, Hough, Livingston & Larson) と契約された。同社は「パイオニア・ゼファー」など、有名な旅客列車のインダストリアルデザインで知られていた会社であった。この際にデザインされた、備品や淡い陰影のつけられた塗装などは広く賞賛された。このドームカーの各車両を、カナダの有名な公園にちなんで名づけることが決まった後、グループ・オブ・セブンを含むカナダを代表するアーティストが参加してこれらの車両に適した壁画が描かれた。寝台車を追加する決定が下され、バッド製の車両に加えて既存の22両の重量客車がカナダ太平洋鉄道自身のアンガス工場において改装され、バッドの車両と同じようなステンレス鋼の外板を取り付けられた。既存の型ディーゼル機関車に加えて、この新しい客車を牽引するためにカナダ太平洋鉄道はゼネラル・モーターズ・ディーゼルに型ディーゼル機関車を発注した。これらのFシリーズがこの列車の牽引としてよく使われたが、時折モントリオール・ロコモティブ・ワークスFPA-2型など他の機関車が使われることもあり、1959年までは蒸気機関車が牽引することもあった。
カナダ太平洋鉄道は新しい看板列車を「カナディアン」と命名し、1955年4月24日に運行を開始した。カナダ太平洋鉄道のライバルであるカナディアン・ナショナル鉄道も同日、新しい大陸横断列車「スーパー・コンチネンタル」の運行を開始したが、カナダ太平洋鉄道は「カナディアン」を「カナダで最初で唯一の流線形オールステンレス車両を使用したドームカー付列車」と宣伝することができた。カナディアン・ナショナル鉄道がドームカーを導入したのは1964年であった。カナダ太平洋鉄道はこの列車をオンタリオ州サドバリーの東側では2系統に分割して運行した。モントリオールとバンクーバー間(オタワも経由する)は西行きが列車番号1、東行きが列車番号2で、サドバリーで分割・併合してトロントへ走る列車が西行きが列車番号11、東行きが列車番号12であった。流線形の外観のイメージにマッチして、「カナディアン」の西行き列車の所要時間71時間は、従来の「ザ・ドミニオン」よりも16時間速かった。
当初は成功をおさめたが、カナダにおける旅客列車の利用は1960年代には減少し始めた。航空機との競争が激しくなり、またトランスカナダハイウェイの建設後は自動車の利用が増加して、カナダ太平洋鉄道は「ザ・ドミニオン」を1966年に廃止した。さらに1970年には政府に対して「カナディアン」の廃止を申請した。この申請は却下されたが、カナダ太平洋鉄道は1970年代を通じて旅客列車の廃止を試みた。「カナディアン」は運行頻度を落とされ、政府が損失の80パーセントを補助していた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カナディアン (列車)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Canadian (train) 」があります。




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