翻訳と辞書
Words near each other
・ カトリック築地教会
・ カトリック築地教会聖堂
・ カトリック聖カタリナ教会
・ カトリック聖ヴィアトール北白川教会
・ カトリック聖歌集
・ カトリック聖職者のウスタシャへの関与
・ カトリック花蓮教区
・ カトリック西陣聖ヨゼフ教会
・ カトリック解放
・ カトリック解放令
カトリック解放法
・ カトリック赤羽教会
・ カトリック輔仁大学
・ カトリック連盟
・ カトリック那覇教区
・ カトリック金門・馬祖使徒座管理区
・ カトリック長崎大司教区
・ カトリック長崎大司教区大司教館
・ カトリック関口教会
・ カトリック関東大学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カトリック解放法 : ミニ英和和英辞書
カトリック解放法[ほう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

解放 : [かいほう]
  1. (n,vs) release 2. unleashing 3. liberation 4. emancipation 5. deallocation (of computer memory) 6. setting free 
: [ほう]
  1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) 

カトリック解放法 ( リダイレクト:カトリック解放 ) : ウィキペディア日本語版
カトリック解放[かとりっくかいほう]
カトリック解放、またはカトリック教徒解放は、18世紀後半から19世紀初頭にかけてグレートブリテン王国において起こった、ローマカトリック教徒にかけられた多くの制約を減らし、取り除こうとする運動である。当時カトリック教徒にかけられていた制約は、礼拝統一法、審査法、宗教刑罰法によるものであった。教皇の世俗、宗教上の権力や、化体説を破棄(否定)させようとする要求は、カトリック教徒たちにとてつもない負担をかけていた。
1776年1月14日、イングランドアイルランド王であったジェームズ2世(スコットランドにおけるジェームズ7世)の息子であり、1701年からイングランド、スコットランド、アイルランドの王位僭称者であったジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートが没した。〔Geni: James Francis Edward Stuart, Prince of Wales 〕以来、歴代の教皇たちはハノーヴァー家をイングランド、スコットランド、アイルランドの合法的な支配者とみなすようになる。ハノーヴァー家が権力を得てから52年経った後に、宗教刑罰法の廃止が始まっていった。その中で最も重要な施策は1829年カトリック教徒救済法であり、イギリスのカトリック教徒から現実的な制約を取り除くというものだった。
==初期における救済==
1763年以来ブリテン人の国となったカナダでは、1774年ケベック法によりカトリック教徒の負担がいくらか解消された。このことをうけて、13の植民地の議会において議論が巻き起こった。
グレートブリテン王国で、またアイルランドでは別個で、カトリック教徒法と呼ばれる最初の救済法が1778年可決された。これは、王位へのステュアートの要求と教皇の民事司法権を破棄することを条件として、カトリック教徒に所有権、土地の相続、また軍隊への参加を許可するものであった。この法律に対する反応は、1779年のスコットランドにおける暴動、またその後ロンドンで1780年6月2日に起こったゴードン暴動へとつながっていった。
1782年、カトリック学校の設立と司教の存在を許可する法律によって救済がより進んだ。また1792~93年にアイルランド議会で1791年英国カトリック教徒救済法が採択された。その当時選挙の参政権は財産によって決定づけられたので、この救済は、年間2ポンドの賃貸価値のある土地を所有するカトリック教徒に票を与えることとなった。彼らはまた、自分たちがこれまで除外されてきた、法曹や大陪審、大学構成員や下級兵士に下級裁判官などといったミドルクラスの職業へと参入し始めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カトリック解放」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.