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カテリーナ・イズマイロヴァ : ミニ英和和英辞書
カテリーナ・イズマイロヴァ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カテリーナ・イズマイロヴァ ( リダイレクト:ムツェンスク郡のマクベス夫人 (オペラ)#カテリーナ・イズマイロヴァ ) : ウィキペディア日本語版
ムツェンスク郡のマクベス夫人 (オペラ)[むつぇんすくぐんのまくべすふじん]

ムツェンスク郡のマクベス夫人』(,)作品29は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ1930年から1932年にかけて作曲した全4幕9場から構成されるオペラ。原作はニコライ・レスコフの同名の小説(1864年執筆)を基に、作曲者がオペラ化したもの(台本はアレクサンドル・プレイスと共同で作成)。
1作目の『』に続いて作曲された第2作目のオペラで、作曲者が20代半ばに作られた力作である。しかし後述する「プラウダ批判」により上演が禁止されたため、1962年に本作を『カテリーナ・イズマイロヴァ』(作品114)として改訂している。
== 概要 ==

=== 作曲の経緯 ===
1930年1月に最初のオペラ『』が初演された後、当時24歳のショスタコーヴィチは次なるオペラの題材を求めていたが、友人のボリス・アサフィエフからニコライ・レスコフの中篇小説『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を読むことを勧められたことが作曲に至る直接の契機であった〔この契機は1940年に行われたインタビューで公言したものである。『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94〕。ただし、作曲者は1920年代頃からすでにレスコフの原作を知っていたようである〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94〕。台本は前作『鼻』で協力したアレクサンドル・プレイスに再び協力を求め、共同で台本を作成した。
作曲は1930年の秋に開始され、全曲が完成したのは1932年(当時26歳)のことである。経過は以下の通りである。
*第1幕:1930年10月4日着手-1931年11月5日完成(チフリスにて)〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94-96〕
:ピアノ譜は10月30日に、第2場は1931年10月7日にそれぞれ完成されている。
*第2幕:1931年11月19日着手(レニングラードにて)-1932年5月8日完成(モスクワにて)〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94-96〕
*第3幕:1932年4月5日着手(レニングラードにて)-1932年8月15日完成(ガスプラ〔ガスプラは当時作曲者が新婚旅行で滞在していた場所〕にて)〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94-96〕
*第4幕:1932年10月末着手-12月17日完成〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94-96〕
:作曲者は3か月ないしは4か月で完成すると想定していたが、当初の予定を大幅に繰り上げて完成させた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ムツェンスク郡のマクベス夫人 (オペラ)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lady Macbeth of the Mtsensk District (opera) 」があります。




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