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オレゴン州会議事堂 : ミニ英和和英辞書
オレゴン州会議事堂[おれごんしゅうかいぎじどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

オレゴン : [おれごん]
 【名詞】 1. Oregon 2. (n) Oregon
: [す, しゅう]
 (n) sandbank
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会議 : [かいぎ]
  1. (n,vs) meeting 2. conference 3. session 4. assembly 5. council 6. convention 7. congress 
議事 : [ぎじ]
 【名詞】 1. proceedings 
議事堂 : [ぎじどう]
 【名詞】 1. Diet building 
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

オレゴン州会議事堂 : ウィキペディア日本語版
オレゴン州会議事堂[おれごんしゅうかいぎじどう]

オレゴン州会議事堂(オレゴンしゅうかいぎじどう、Oregon State Capitol)は、アメリカ合衆国オレゴン州の州都セーラムに立地する同州議会の議事堂。庁舎はセーラムのダウンタウン、ウィラメット大学キャンパスの北東隣に建っている。議事堂内にはオレゴン州議会の上下両院の議場のみならず、州知事、州務長官、州財務官の各事務所も置かれている。現在の庁舎は1936年から1938年にかけて中央部分が建設され、1977年に左右両ウイングが増築されたもので、セーラム遷都以来3代目のものとなる。初代の庁舎は1855年に、2代目の庁舎は1935年に焼失した。庁舎の高さはドームを含めて51mである。議事堂の敷地内には芸術作品が展示され、噴水が設けられ、州の木であるベイマツや州の花であるセイヨウヒイラギナンテンをはじめとする様々な花木が植えられている。
このアール・デコ調の庁舎はニューヨークの設計事務所、トローブリッジ・アンド・リビングストンがフランシス・キアリーと共に設計したものであった。庁舎には外観・内装とも、大部分に大理石が用いられている。この庁舎は1988年国家歴史登録財に指定された〔Oregon National Register List . p.27. Oregon State Parks and Recreation Department. 2009年1月5日. (PDFファイル)〕。
この庁舎の中央部分の建設には250万ドル(当時)の費用を要した。その一部は、世界恐慌後のニューディール政策の一環として創設された公共事業局(Public Works Administration)が負担した。後のウイングの増設では1,250万ドル(当時)の費用が投じられ、床面積がそれまでの約2倍、約21,720m²に広がった。
==歴史==

===セーラム遷都以前===
1848年オレゴン準州が成立する以前、1844年6月27日から翌1845年12月19日にかけて開かれたオレゴン・カントリーの暫定政府議会は、オレゴンシティをオレゴン・カントリーの首都に選定した〔Scott, Harvey Whitefield and Leslie M. Scott. ''History of the Oregon Country''. p.187. Riverside Press. Cambridge. 1924年. 〕。オレゴン準州が成立すると、オレゴンシティがそのまま準州都になった。従って、オレゴンの最初の議事堂はオレゴンシティに置かれた。暫定政府が使用していた建物のうちの1棟で、ジョン・L・モリソンが1850年に建設したものが、準州都がセーラムに移されるまで議事堂として使用されていた〔''Native Sons of Oregon. The Oregon Native Son. Vol.II''. p.294. Native Son Pub. Co. Portland, Oregon. 1899年.〕。オレゴンシティが当時の政治の中心になったのは初代オレゴン準州知事ジョセフ・レーンの声明によってのことであった。1850年、準州議会は準州都をセーラムへ移す法案を可決した。しかし、準州知事ジョン・P・ゲインズやオレゴン準州最高裁判所(裁判官オービル・C・プラットを除いて)はセーラムへ移ることを拒み、1852年に連邦議会がセーラム側に有利な形でこの問題を解決するまでオレゴンシティに残った〔Horner, John B. ''Oregon: Her History, Her Great Men, Her Literature''. pp.125, 153-154, 176. The J.K. Gill Co. Portland. 1921年. ASIN B000UE2G8U〕。

1855年1月13日、オレゴン準州議会は準州都をセーラムからコーバリスに移す法案を可決させた。しかし、セーラムでは既に多くの公共施設の工事が進んでいたため、準州知事ジョージ・ロウ・カリーをはじめ、多くの者がコーバリスへの遷都に反対した。カリーはこの問題をワシントンD.C.財務長官に訴えた。財務長官ジェームズ・ガスリーは、遷都は連邦議会によってなされていない限りは無効であると明言した。その後、カリーとオレゴン準州務長官ベンジャミン・ハーディングはセーラムに戻った〔。同年12月3日には準州都をセーラムに戻すべく、準州議員がコーバリスに招集された。同月15日には準州都をセーラムに戻す法案が可決され、その3日後には準州議員が再び、今度はセーラムに招集された。
しかし、同月29日に議事堂が焼失すると、準州都をどこに置くかをめぐって、再び議論が巻き起こった。準州議会は、今度は住民投票でこの問題を解決しようとした。最初の投票は翌1856年6月に行われ、最も得票数の多かった2都市の間で決選投票を行うことになった。その結果、最初はユージーンとコーバリスの間で決選投票が行われることになったが、不正投票が発覚して該当する票が無効とされた結果、決選投票はユージーンとセーラムの間で行われることになった。同年10月に行われた決選投票ではユージーンのほうが得票数が多かったが、投票率の低さを理由として投票結果は無視され、準州都はセーラムに残された〔。
この問題に最終的な決着が付けられたのは1859年にオレゴン準州が州に昇格した後、1864年のことであった。1860年、州議会は州都をどこに置くかについて、再び住民投票を行うことにした。1862年に行われた投票では、どの候補都市も州法で定められた50%以上の票を獲得することができなかった。投票は1864年に再度行われ、その結果、セーラムが79%の票を得て、正式に州都に選定された〔。オレゴン州憲法では第14条において、州政府をマリオン郡に置くと記されている〔''The Encyclopedia of Oregon''. Somerset Publishers, Inc., 1999年. ISBN 0-403-09840-8〕。セーラムはマリオン郡の郡庁所在地である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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