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オリーブの枝請願 : ミニ英和和英辞書
オリーブの枝請願[おりーぶのえだせいがん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
請願 : [せいがん]
  1. (n,vs) petition 
: [がん]
 【名詞】 1. prayer 2. wish 3. vow 

オリーブの枝請願 : ウィキペディア日本語版
オリーブの枝請願[おりーぶのえだせいがん]
オリーブの枝請願(オリーブのえだせいがん、英:''Olive Branch Petition'')は、アメリカ独立戦争の初期に第二次大陸会議からイギリス国王ジョージ3世に宛てて出された請願文書である。
==内容==
大陸会議は流血沙汰を避けるために植民地の不満を軽減してくれるよう、国王に対する最後の注意喚起としてこの文書を作成した。請願文書はジョン・ディキンソン達によって起草され、植民地を大英帝国の中に留めることを目論んでいた。しかし、イギリスはこの申し出を拒んだ。オリーブの枝請願はそのころ異なる名前で呼ばれていた。最も流布した名前は「国王に対する第2の請願」(''The Second Petition to the King'')あるいは「謙虚な請願」(''The Humble Petition'')であった。オリーブには旧約聖書創世記ノアの方舟の逸話でノアが放ったがオリーブの葉を銜えて帰ってきたということから、平和の象徴としての意味が込められている。
1775年5月に大陸会議が招集されたとき、進行中のイギリスとの紛争をどう扱うかについて、議論が分かれた。多くの代議員はジョン・ディキンソンが主張するイギリス国王を宥める方向に傾いていた。しかし、ジョン・アダムズが先導する少数グループは戦争が避けられないものと信じていた。大陸会議での議論が進んで行く中で、ジョン・アダムズとその急進派グループは、しばらくは独立の願望を抑えて静かにしておき、民衆を扇動する適当な機会を待つことが賢明なやり方ということになった。このことで、ジョン・ディキンソンと彼に従う者達が国王との融和策を練り始めた。オリーブの枝請願という案が認められたのがこの時である。〔Ferling, John E; A Leap in the Dark: The Struggle to Create the American Republic; Oxford ; New York: Oxford University Press, 2003.〕
オリーブの枝請願は、まずトマス・ジェファーソンによって起草されたが、ジョン・ディキンソンは言葉遣いが攻撃的であるとして気にくわなかった。ディキンソンが大部分を書き直したが、結論部分だけはジェファーソンの案を採用した。〔Brown, Weldon A.; Empire or independence; A Study in the Failure of Reconciliation, 1774-1783; Port Washington, N. Y., Kennikat Press; 1966, c1941.〕
ディキンソンは植民地とイギリスの無責任な閣僚との間の問題を、「王室の信頼と権威を悪用する狡猾で残酷な敵」と非難した。〔Christie, Ian R; Labaree, Benjamin W; Empire or Independence, 1760-1776: A British-American Dialogue on the Coming of the American Revolution; New York : Norton, c1976.〕ディキンソンは、植民地が独立を望んではおらず、貿易と税の問題についてイギリス政府と話し合いをしたいだけだと訴えた。さらに国王が貿易問題を決着させる最終計画あるいは同意書を作成してくれるよう提案した。国王の計画作成を助けるために、ディキンソンは植民地が自由貿易を許可されイギリスと同じ税率の課税ととするか、無税として厳密に貿易を統制するかを選ぶことも提案した。請願文書は署名され7月8日にロンドンへ送られた。〔 〕 ディキンソンはレキシントンとコンコードの流血沙汰という言葉が、謙虚な請願と組み合わされて、国王の心に少なくとも植民地の人々との交渉を行おうという気持ちを吹き込むものと期待していた。〔 〕
不幸にもこの請願文書は、ジョン・アダムズの押収された文書によってその力を弱められた。ジョン・アダムズは友人に宛ててオリーブの枝請願に不満があることを書き送っていた。ジョン・アダムズの文書の中では、戦争が避けられないこと、植民地は海軍を組織し、イギリスの役人を捕獲すべきと考えていることが書かれていた。この押収された文書はオリーブの枝請願と同じ時期にロンドンに着いた。イギリスはアダムズの文書を使って、オリーブの枝請願が不誠実なものであると非難した。〔 〕
国王が請願を切り捨てたとしても、アメリカの独立にとってはそれが大変重要なことであった。国王の拒絶はアダムズやその急進派グループにとっては独立を推進するための機会となった。オリーブの枝請願は現実には独立運動の転換点として働いた。国王が「オリーブの枝」を拒絶した後、植民地人の心にあった問題が二極化した。無条件で屈服するか、完全なる独立を勝ち取るかであった。〔 〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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