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オソン1世 : ウィキペディア日本語版
オソン1世[おとん1]

オソン1世(またはオトン1世オットー1世、、全名オソン・フリデリコス・ルドヴィコス、、原全名オットー・フリードリヒ・ルートヴィヒ・フォン・ヴィッテルスバッハ、、1815年6月1日 - 1867年7月26日)は初代ギリシャ国王(在位:1833年2月6日 - 1862年10月23日)。1832年イギリスフランスロシア間で結ばれたに基づき即位した。
== 生涯 ==

=== ドイツ人のギリシャ王 ===
オーストリアザルツブルクで生まれた。父はヴィッテルスバッハ家バイエルン国王ルートヴィヒ1世、母はザクセン=ヒルトブルクハウゼン公女テレーゼ。兄にバイエルン国王マクシミリアン2世、弟にバイエルン摂政ルイトポルトがいる。
ギリシャ独立戦争の結果、オスマン帝国からの独立を達成したギリシャの政治体制について、欧州列強君主国とすることが適当であるとの結論に達した。初代国王としては、東ローマ皇帝の血を引き〔
バイエルン王家の遠祖バイエルン公ヨハン2世は、女系をたどるとコムネノス家およびラスカリス家の血を引いていた。ヨハン2世の母エリーザベトはシチリア王フェデリーコ2世エレオノーラ・ダンジョの娘、エレオノーラはナポリ王カルロ2世ハンガリー王女マリアの娘であったが、マリアの父でヨハン2世の高祖父に当たるハンガリー王イシュトヴァーン5世の母がニカイア皇帝テオドロス1世ラスカリスと皇后アンナ・アンゲリナの娘マリア・ラスカリナであったためである。〕、列強に対して中立の立場にあるバイエルンのオットー王子をオソン1世として即位させることになった。
1832年、オソンは18歳になって間もなく、当時ギリシャの首都が置かれていたペロポネソス半島ナフプリオに上陸した。彼の周囲にはバイエルンの宮廷から連れてきた多くの廷臣たちがつき従っていた。新国家の財政についてはイギリスおよびロスチャイルド家が保証することになったが、彼らはギリシャの経済状況が思わしくないことを国王に示唆した。 新政府が国民にかけた税金はオスマン帝国時代以上に重たいものだった。国王はギリシャの風習に何の興味も示さず、宗教もギリシャ正教に改宗せずカトリックを信仰し続けた。ただし、ギリシャの文化財流出を防ぐための「記念物法」は1834年に施行されている。
1837年にオソンはドイツを訪問し、オルデンブルク大公パウル・フリードリヒ・アウグストの娘アマーリエ(ギリシア名アマリア)と結婚した。結婚式はギリシャでは開かれなかった。新しく誕生した王妃は政治に干渉し、国民の君主制に対する支持はさらに失われていった。ギリシャの民心を掴もうとして、1841年クレタ島を併合しようとした動きは列強によって制せられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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