翻訳と辞書
Words near each other
・ エースベーカリー
・ エースボクシングジム
・ エースランド
・ エースレコード
・ エースロボット
・ エースワン
・ エース・アダムズ
・ エース・アトキンス
・ エース・イン・ザ・ポット
・ エース・クラッシャー
エース・スティール
・ エース・パイロット
・ エース・フレイリー
・ エース・フレーリー
・ エース・ブックス
・ エース・ベンチュラ
・ エース・ベンチュラ2
・ エース・ベンチュラ2 ジム・キャリーのエースにおまかせ!
・ エース・ベンチュラ2/ジム・キャリーのエースにおまかせ!
・ エース・レコード


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エース・スティール : ミニ英和和英辞書
エース・スティール[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エース・スティール : ウィキペディア日本語版
エース・スティール[ちょうおん]

エース・スティール(Ace Steel、男性、1973年1月25日 - )は、アメリカ合衆国出身のプロレスラーである。身長175センチメートル、体重86キログラム。
アメリカではTNAWLW(ワールド・リーグ・レスリング)ROH(レスリング・オブ・オーナー・レスリング)に参戦した経験があり、日本ではプロレスリング・ノアへ参戦していた。アメリカではヘビー級戦線、日本ではジュニアヘビー級戦線で活動。
== 略歴 ==
子供時代は、AWA (アメリカン・レスリング・アソシエーション)の影響を受け、プロレスラーを志す〔WLW Profile:Ace Steel 2012年10月閲覧〕。
1991年10月にプロレスラーとしてデビュー。IWA Mid-south(インディペンデント・レスリング・アソシエーション・ミッドサウスなどの各種アメリカ・インディー・マットを転戦を経て、1997年に自身の団体『スティール・ドメイン・レスリング(Steel Domain Wrestling)』を設立。CMパンクコルト・カバナなどが所属し、スティールに師事した〔。
2001年になると、スティールはハーリー・レイス主宰のWLWへ所属する。
WLWと提携している日本のプロレスリング・ノアの三沢光晴が視察したときに、その技術を買い、ノアへの初来日が実現。以降、同団体の常連参戦外国人選手となる。また、アメリカでもWLWの他にTNA(トータル・ノンストップ・アクション・レスリング)ROH(リング・オブ・オーナー・レスリング)にも参戦する。TNAでは、かつての後輩であったCMパンクやコルト・カバナと再会。スティールとカバナは一時期『セカンド・シティ・セインツ(The Second City Saints)』というユニットを結成している〔。
2005年12月10日、WLWスティムボートロック大会では、WLWへ参戦したKENTAが当時保持していたGHCジュニアヘビー級王座に挑戦。20分00秒、GO 2 SLEEPからの片エビ固めに屈し、KENTAの3度目の防衛を許した〔GHCジュニア・ヘビー級王座の変遷 2005年|プロレスリング・ノア公式サイト 2012年10月閲覧〕。 
その後もノアへの参戦も継続していたが、2007年にWWE(ワールド・レスリング・エンターテイメント)に移籍。ノアへの来日が途絶え、ROHやWLWへの参戦もなくなる〔。
奇抜な行動・パフォーマンス・挑発行為が特徴で、試合前・試合中にコーナーポスト上に横に寝転がって相手を挑発したり、観客や相手・味方などに奇声を発したり、試合の途中に控室へ帰るふりをして戦意喪失・棄権した様にみせるがリングアウト寸前で急いでリングに帰還する、など多彩である〔プロレスリング・ノア『Shiny Navigation’06』公式パンフレット〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エース・スティール」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.