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エヴルー : ウィキペディア日本語版
エヴルー[ちょうおん]
フランス > オート=ノルマンディー地域圏 > ウール県 > エヴルー
エヴルー (Évreux) は、フランス北西部、オート=ノルマンディー地域圏コミューンである。ウール県の県庁所在地。
カトリック司教座がおかれ、ゴシック建築のエヴルー大聖堂(ノートルダム寺院)がある。
== 歴史 ==

古代、エヴルーはMediolanum Aulercorumの名で呼ばれていた。ガリア系のエブロウィス族(Eburovici)がここに本拠地をおき、紀元前1世紀に定住地を建設したのである。ローマ帝国時代初期にはガロ=ローマの人々は、ローマ神話の神を讃え、現在のコミューン郊外にギサクム神殿(Gisacum)を建設した。ルーアンシャルトル間、パリ=エヴルー間の交易路の間にあった町は、貿易で繁栄した。劇場やフォルム、浴場といった公共の建物が建てられた。ネクロポリスからは花器が発見され、碑文からはガロ=ローマ時代からエヴルーに織物産業が存在したことを示している。蛮族の侵攻が相次いだ3世紀末には、現在コミューン博物館で保存されているような城壁で町は覆われていた。
エヴルー初代司教は聖トランである。989年にエヴルー伯領が、そして司教座がおかれた。892年にはノルマン人に占領され、962年には西フランク王ロテールに荒らされた。1120年にはイングランド王ヘンリー1世に略奪され、1194年にはフランス王フィリップ2世に火を放たれた。イングランド貴族デヴァルー家(Devereux)の家名は、エヴルーにちなんでいる。
14世紀から15世紀初めにかけて、カペー家の分枝エヴルー家が栄えた。エヴルー家の嫡系は1400年のエタンプ伯ルイ死で断絶したが、フィリップ・デヴルー(のちのナバラ王フェリペ3世)とナバラ女王フアナ2世の結婚によりナバラ王国の王家となったエヴルー=ナヴァール家は1441年まで存続した。百年戦争中の1418年、イングランド王ヘンリー5世によりエヴルーは占領された。フランスの主権下に復帰したのは1440年であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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