翻訳と辞書
Words near each other
・ エミール・マソンJr.
・ エミール・マツゥー
・ エミール・マール
・ エミール・ムペンザ
・ エミール・モーリス
・ エミール・ヤニングス
・ エミール・ユリウス・ガンベル
・ エミール・ラゲ
・ エミール・ラシェド
・ エミール・ラシッド
エミール・ラスク
・ エミール・ラフード
・ エミール・ラング
・ エミール・リン
・ エミール・ルーダー
・ エミール・ルートヴィヒ
・ エミール・レイノー
・ エミール・ワルトトイフェル
・ エミール・ワールブルク
・ エミール・ヴァン・エルメンゲム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エミール・ラスク : ミニ英和和英辞書
エミール・ラスク[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エミール・ラスク : ウィキペディア日本語版
エミール・ラスク[ちょうおん]

エミール・ラスク(Emil Lask, 1875年9月25日 - 1915年5月26日)は、ドイツ哲学者フライブルク大学ハインリヒ・リッケルトに学んだ。新カント派の中でも西南ドイツ学派(バーデン学派)に属する。
== 略歴 ==
ラスクは1905年にハイデルベルク大学講師に就任し、第一次世界大戦が始まる直前に教授に昇進した。1914年の開戦後、ラスクは間もなく従軍した。ハイデルベルク大学の教授であったため、兵役義務はなかったのだが、ラスクは己の良心と理想を省みて、国のために勤めを果たすべきだと感じたのである。ラスクは東部戦線のガリツィアに派兵された。虚弱体質で重度の近視を患っていたので、銃を撃つことはできなかったが、それでも前線にとどまるべきだと考えたのだった〔"Emil Lask and Kantianism" 〕。結局、ラスクは生まれ故郷の近く、ガリツィアでの戦闘中に命を落とした。その背景には、ラスクを戦地からハイデルベルク大学哲学科に呼び戻すという要求をヴィルヘルム・ヴィンデルバントが拒んだという経緯がある。ラスクがユダヤ人だったことがその理由だという推測もある〔Gary D. Jaworski, ''Georg Simmel and the American Prospect'' , SUNY Press, 1997, p. 95.〕。
ラスクは重要かつ独創的な思想家だったが、早すぎる死と新カント派の衰退によって、その価値ある著作はあまり読まれてはいない。生前に刊行された著作、そして未刊行の原稿は弟子のオイゲン・ヘリゲルによって3巻にまとめられ、ラスクの師リッケルトが寄稿した論考とともに1923年と1924年に出版された。エミール・ラスクの妥協を許さぬ態度は哲学者の興味を引くものであり、また若き日のマルティン・ハイデッガールカーチ・ジェルジに影響を与えたことが哲学史家によって注目されている。ラスクの思想は日本で影響力をもったが、それは弟子のオイゲン・ヘリゲルが日本に滞在し教鞭をとったからである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エミール・ラスク」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.