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エタ・ジェイムズ : ウィキペディア日本語版
エタ・ジェイムズ

エタ・ジェイムズ(Etta James, 1938年1月25日 - 2012年1月20日)は、アメリカ合衆国ブルースR&Bシンガー。出生時の名前は、ジェイムセッタ・ホーキンズ。60年代から70年代にかけてチェス・レコードに在籍し、"Tell Mama"など多くのヒットを生んだ。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第22位。
== 生涯 ==
1938年1月25日カリフォルニア州ロサンゼルスにて、アフリカ系アメリカ人の母親のもとに生まれ、祖父母に育てられた。幼い頃からバプテスト教会に通い、ゴスペルの合唱団に所属していた。12歳の頃、母親とともにサンフランシスコ移住したエタは、間もなく友人の女性二人とボーカル・グループを結成。彼女が14歳のとき、このグループはバンドリーダーとして有名なジョニー・オーティスを彼のライヴの後ホテルの部屋へ訪ね、その場でオーディションを受ける。このとき歌ったのがハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズの"Work With Me Annie"のアンサー・ソングという位置づけの"Roll With Me Henry"だった。オーティスはこの曲を気に入り、彼の口利きでエタはロサンゼルスのモダン・レコードと契約することとなった。
1954年、同レーベルでの初セッションでこの曲をレコーディングしたが、曲名は性的なものを連想させるという理由から、"The Wallflower"へと変更された。この曲は翌1955年にリリースされ、R&Bチャートのトップを記録する。モダンからは、この他"Good Rockin' Daddy"(同チャート6位)というヒットも生まれた。
1960年、チェス・レコードと契約。ここでは、レーベルが倒産する1976年までの長きに渡って在籍し、エタはキャリアの中で最大の成功を納めることとなった。初期は、同レーベル傘下のアーゴからレコードをリリースした。"At Last"(1961年)はR&Bチャート2位を記録するヒットとなり、彼女の代表曲のひとつとなった。この曲に象徴されるように、当時のエタはポップス色を売りにしていた感があるが、1964年のライヴ・アルバム''Rocks The House''では荒々しくブルースをシャウトする一面も見せている。また、このアーゴ時代には当時ムーングロウズのメンバーだったハーヴィー・フークワとのデュオでも"If I Can't Have You"などの楽曲を残した。
チェス中期になると、同じくレーベル傘下のカデットへ移り、マッスルショールズでレコーディングされた"Tell Mama"、"I'd Rather Go Blind"などのソウル色のナンバーをリリースした。
チェスの倒産後は、MCA、ファンタジーなど複数のレーベルから作品を出し続けるものの、彼女のキャリアの中では印象が薄い。しかしながら、1988年の''Seven Year Itch''あたりから、再びじわじわと存在感を示すようになった。1992年 の''The Right Time''では元アトランティック・レコードのプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーを迎え、力強いR&Bサウンドを披露。一方、続く''Mystery Lady''では一転ジャジーなムードでビリー・ホリデイのナンバーを歌うという懐の深さをみせた。同作では、グラミーのベスト・ジャズ・ボーカル賞を受賞、以後2003年、2004年にもブルース部門で受賞している〔Grammy Award Winner Search 〕。1993年には、ロックの殿堂入りも果たした〔Rock and Roll Hall of Fame - Inductee List 〕。
順調に作品のリリースを重ねたエタだったが、キャリアの初期の段階から麻薬中毒と闘ってきたことは広く知られている。また90年代以降、極度な肥満にも悩まされた。自ら歩くこともままならない状態となり、ステージにも電動カートに乗って登場するようになった。2003年、エタは治療のため胃のバイパス手術を受け、90キロ以上の減量に成功した。
その後も''Blues to the Bone''(2004年)、''All the Way''(2006年)とアルバムをリリース。
2008年12月に全米で公開されたチェス・レコードを題材にした映画『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』では、エタ役をビヨンセが演じている。
1992年東京ドームで開催されたプレイボーイ・ジャズ・フェスティバル出演のために日本を訪れた〔「来日ブルースマン全記録1971-2002」(ブルース・インターアクションズ)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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