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エジムンド・アウヴェス・デ・ソウザ・ネト : ミニ英和和英辞書
エジムンド・アウヴェス・デ・ソウザ・ネト
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


エジムンド・アウヴェス・デ・ソウザ・ネト ( リダイレクト:エジムンド ) : ウィキペディア日本語版
エジムンド

エジムンド・アウヴェス・デ・ソウザ・ネト(Edmundo Alves de Souza Neto, 1971年4月2日 - )は、ブラジルの元サッカー選手。リオデジャネイロ州ニテロイ市出身。ポジションはフォワード
== 来歴 ==
1992年、CRヴァスコ・ダ・ガマのユースの試合で中央から4人抜きゴールを決め、注目を浴びる。数日後Aチームとの練習で監督に認められ、わずか16歳でユースから昇格。
翌年パルメイラスが獲得、毎試合マン・オブ・ザ・マッチになり続ける姿を、あるラジオリポーターが「アニマル(野獣)」と名付け、以後あだ名として定着。プレーの凄さに魅力されたが故のあだ名だったが、反面ラフプレーも多くレッドカードも少なくなかったため、問題児としても有名になった。1993年、1994年はリンコン、エジウソンエバイールらと夢のチームを結成、ブラジル選手権王者に輝いた。しかし、チームメイトの間柄は良好とは言えず、1994年の末にフラメンゴに売却された。
フラメンゴではロマーリオサヴィオらとファンタスティックトリオを結成、しかしチームはうまくいかず相手サポーターからは世界一弱い攻撃陣と呼ばれるなど、屈辱の時を味わった。
1997年のブラジル選手権ではヴァスコ・ダ・ガマを見事優勝に導き自身も1試合6ゴールを決めるなど活躍。その年の得点王に輝いた。
翌年のフランスワールドカップではフォワードとして活躍した。その後、イタリア・セリエAフィオレンティーナに移籍し、ルイ・コスタバティストゥータらと並んで華麗な攻撃陣の一角を占めて活躍、フィオレンティーナの3位に貢献した。
2001年にはJ2降格の危機に立たされていた東京ヴェルディ1969に入団。シーズン終盤5試合で2得点と活躍し、チームのJ1残留に大きく貢献した。翌2002年もヴェルディのゲームメーカー兼エースストライカーとして大活躍したが、高額な年俸がネックとなり浦和レッズに移籍。2003年のシーズン開幕直後にハンス・オフト監督との意見の相違からブラジル帰国を希望し、まもなく退団。出場はナビスコカップ予選2試合だったため、リーグ戦の出場無しということになった。
しかし契約には早期退団に対し契約金を返すという内容を明記していなかった為、3・4月の年俸は払わないと行けないというレッズにとっては2つの意味で痛い結果となった。
フルミネンセでは再びロマーリオと2トップを組み、話題になった。長期の負傷から復帰したばかりの2005年にノヴァ・イグアスへ移籍するが、一ヶ月足らずで退団。直後に加入したフィゲイレンセでエースとして活躍。2006年には古巣である名門パルメイラスに移籍し、2008年からはキャリアをスタートさせたヴァスコ・ダ・ガマに復帰した。2009年に現役を引退。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エジムンド」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Edmundo Alves de Souza Neto 」があります。




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