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エクトル・ラボー : ミニ英和和英辞書
エクトル・ラボー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラボ : [らぼ]
 【名詞】 1. (abbr) laboratory 2. language laboratory 3. (P), (n) (abbr) laboratory/language laboratory
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エクトル・ラボー : ウィキペディア日本語版
エクトル・ラボー[ちょうおん]
エクトル・ラボー(Héctor Lavoe、1946年9月30日 - 1993年6月29日)は、プエルトリコ人のサルサ歌手としてニューヨークを中心に活躍した。
人々は彼のことを、「La Voz(声)」、そして「El Cantante 歌手」と呼んだ。
== バイオグラフィ ==
1946年9月30日にプエルトリコのポンセという町にエクトル・フアン・ペレス・マルティネス(Héctor Juan Pérez Martínez)として生まれ、プエルトリコ音楽学校に通った。17歳のときに、ニューヨーク市に移りKako All-Starsなどのバンドで活動した。このころ他のラテン系の歌手と区別するために、彼はフェリペ・ロドリゲスのあだ名"La Voz"(声)を採用し、芸名をラボー(Lavoe)に変えた。
1967年には、トロンボーン演奏者のウィリー・コロンとバンドを組んだ。その後は、数々のヒット曲を生み、サルサがラテン界の台風の目となった1970年代前半には「歌手の中の歌手」として押しも押されもせぬ存在となった。そして、ファニア・オールスターズのヴォーカリストの一員となった。
しかし、活躍とともに精神的な負担が増え、彼は麻薬に依存していく。健康は悪化し、コンサート活動にも支障をきたすようになると、バンドの専属ヴォーカリストとして契約をうち切られてしまう。
その後は、リハビリに励みつつウィリー・コロンのプロデュースで音楽活動を続ける。その後、父親、息子、および義母の死に続き、自身も麻薬の回し打ちが原因となりHIVと診断される。チケットの売れ行き低調を理由にプロモーターからコンサートをキャンセルされた翌日の1988年6月26日にホテルのバルコニーから飛び降り自殺を図ったが、一命を取り留めた。その後エイズを発症し、ほとんど活動ができなくなった。
その後は体調が衰え行く中でアルバムを一枚作成したが、1993年6月29日にエイズの合併症により亡くなった。46歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エクトル・ラボー」の詳細全文を読む




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