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ウラジーミル・ベスソノフ : ミニ英和和英辞書
ウラジーミル・ベスソノフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウラジーミル・ベスソノフ : ウィキペディア日本語版
ウラジーミル・ベスソノフ[ちょうおん]

ウラジーミル・ワシーリエヴィチ・ベスソノフVolodymyr Vasylyovych Bezsonov又はVladimir Vasilyevich Bessonov1958年3月5日 - )は旧ソビエト連邦ハルキウ出身の元同国代表サッカー選手、指導者である。
== 略歴 ==
1976年のデビューからキャリアのほとんどをFCディナモ・キエフで過ごし、強力なシュートと電光石火のスピードを武器に攻撃的なサイドバックとして、ヴァレリー・ロバノフスキー監督の下、オレグ・ブロヒンオレクサンドル・ザバロフらとともに、キエフの黄金期を支えた。
キエフでの14年間でリーグ優勝6度、準優勝3度、リーグカップ優勝5度のほか、1989年にはウクライナ年間最優秀選手に選ばれている。クラブキャリアハイライトは1985-86シーズン、アトレティコ・マドリードとの決勝を制しUEFAカップ・ウィナーズ・カップを掲げている。
1977年チュニジアで開催された第1回ワールドユースでは優勝と大会MVPに輝いたのを皮切りに、A代表でも主軸として活躍。1980年モスクワオリンピックでは3位に入り、ソビエト連邦の2大会連続銅メダルに貢献した。
ワールドカップには1982年1986年1990年と3度出場。決勝トーナメントには1度しか進めなかったが、西ドイツで開催された欧州選手権1988では準優勝を果たした。
1977年から1990年で通算79試合に出場 (歴代5位) 。ソビエト代表のベスト・プレイヤーの一人であると考えられている。
引退後、CSKAキエフトルクメニスタン代表の監督を務める。2008年からはオレグ・プロタソフの後を受け、ドニプロ・ドニプロペトロウシクの監督に就任している。2010年9月に解任された。
なお、妻は元ソビエト連邦代表の新体操選手で世界新体操選手権団体の優勝メンバー、娘のアンナ・ベッソノバ (Anna Bessonova) は新体操ウクライナ代表として2007年世界新体操選手権で個人総合1位、2008年の北京オリンピックでは銅メダルを獲得している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウラジーミル・ベスソノフ」の詳細全文を読む




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