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ウィドゥキント : ウィキペディア日本語版
ウィドゥキント

ウィドゥキントWidukind/Wittekind, 730年頃-808年?)は、サクソン(ザクセン)人の首領者。ザクセン公ヴェストファーレン貴族のリーダー。ザクセン戦争においてカール大帝に降伏し、ローマ教皇レオ3世に服してキリスト教改宗した人物として知られている。サクソン人の独立と屈服、異教に対するキリスト教の勝利を象徴する一種の伝説的な人物である。ヴィドゥキントとも表記される。
== サクソン戦争とウィドゥキント ==
772年フランク王国ザクセンへの侵攻に端を発し、サクソン戦争が始まった。ザクセンは抵抗の末に占領された。ウィドゥキントが記録の上に登場するのは、777年デンマークへ赴き、王の下へ身を寄せてフランクに対抗する会合を開いた、というフランク側の記述である。778年、カール1世(カール大帝)がスペインへの遠征に赴くと、ウィドゥキントはザクセンへ戻り、部族を率いてフランクの領土に対して略奪を働いた。しかし、カールが帰還すると状況は一変し、ウィドゥキントの部族は攻撃され、多くのザクセン人が処刑された。とりわけ、ヴェーザー川の支流アラー川の河畔で捕虜4500人が殺されたことを、カールのもとで活躍した僧アルクィンが記している。ウィドゥキントは逃亡を繰り返さなければならなかった。カールはウィドゥキントに、降伏してキリスト教に改宗するよう呼びかけた。785年、ウィドゥキントは彼の部族とともに降伏し洗礼を受けた。これ以降、ウィドゥキントはサクソン戦争に参加せず、修道院で隠遁生活を送ったとされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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