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イオン釧路店 : ミニ英和和英辞書
イオン釧路店[いおんくしろてん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ろ]
 【名詞】 1. road 2. street 3. path
: [みせ]
  1. (n,n-suf) store 2. shop 3. establishment 

イオン釧路店 : ウィキペディア日本語版
イオン釧路店[いおんくしろてん]

イオン釧路店(イオンくしろてん)は、北海道釧路郡釧路町桂木にあるイオン北海道が運営する総合スーパー (GMS)。
== 歴史・概要 ==
1987年(昭和62年)12月1日に「ホクホー釧路店」として開店したのが始まりである〔。
1991年平成3年)には総事業費約200億円を投じて当時としては北海道内最大級の娯楽施設を併設したショッピングセンターに増改築する計画を明らかにした〔“道内最大級の商業施設、ホクホーが釧路町に建設へ-レジャー機能備える。事業費200億円”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1991年7月26日)〕。
その翌年の1992年(平成4年)3月1日に当店を運営していた「株式会社ホクホー」が「株式会社北海道ニチイ」に吸収合併されて同社の運営に変わったことに伴い〔、「ニチイ釧路店」となった。
なお、「株式会社北海道ニチイ」は1996年(平成8年)7月に「株式会社マイカル北海道」に社名変更した〔
1994年(平成6年)10月21日に「ニチイ釧路店」を道東最大の売り場面積に増床して「釧路サティ」として新装開業し〔、「ニチイ」が進めていた総合スーパーよりも百貨店に近い性格の生活百貨店・サティ業態への転換をした〔“流通の旗手は今 検証・北海道現象 中 デフレの風の中で マイカル北海道、ラルズ、北雄ラッキー、北海道西友”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2001年8月8日)〕。
こうした増床・改装効果に加えてモータリゼーションの流れに乗り、当店は釧路の郊外型商業地区の核となった〔“車に乗った大型店 変わる流通現場 下 郊外激戦 相次ぐ立地や計画 空洞化に焦る市中心部”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1995年10月28日)〕。
その結果、年間売上高は100億円を突破し〔“マイカル北海道、「江別サティ」開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月12日)〕、1997年(平成9年)度と1998年(平成10年)度の2年連続北海道内スーパー店舗別売上高で首位となり〔“98年度道内スーパー店舗別売上高 釧路サティ2年連続首位 マイカル北海道 4店が年商100億円”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1999年4月28日)〕、1998年(平成10年)度の売上高はテナントを含める170億円を超えて道東地方の地域一番店となった〔。
1998年(平成10年)4月17日に釧路市昭和地区への出店を表明したジャスコは、翌年1999年(平成11年)12月10日には出店予定地を含めた「昭和中央土地区画整理事業」への建設大臣認可・道知事決定を受け、その翌月の2000年(平成12年)1月17日に店舗面積約27,000m²で釧路市から事実上の認可を得て、同年9月23日に「イオン釧路昭和ショッピングセンター(現・イオンモール釧路昭和)」を開業した〔。
このイオンの進出により、釧路地区で激しい競争を繰り広げることになった〔“プリズム2001 釧路の大型店対決 ジャスコ対サティ 1年目は痛み分け 年間売り上げ目標に届かず 戦略見直し 商戦激化へ 低価格ブランド 得意分野に重点”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2001年9月29日)〕。
この競合店の進出に対応するため、当店も店舗面積を1.6倍の約30,000m²に増床してシネマコンプレックス「ワーナー・マイカル・シネマズ釧路」も併設する〔“シネコン釧路にも 「ワーナー・マイカル・シネマズ」完成 あすオープン 釧路サティ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2000年11月29日)〕と共に若い女性に人気の衣料ブランドなども有力ブランドを次々と導入して〔2000年(平成12年)11月30日に新装開業した〔〔。
こうした増床・改装などの効果もあって弱点の見つけにくい店舗構成となって、若い人たちのデートコースにもなるなど競合の追撃を許さない「地域一番店」となった〔。
その結果、2001年(平成13年)2月期の直営部分の売上高約130.5億円を更に伸ばし、釧路地区では百貨店も含む大型小売店全体でも「地域一番店」とされるようになった〔。
そのため、「イオン釧路昭和ショッピングセンター」は当店を追い上げることが出来ず〔、売上は目標を下回る結果に終わった〔。
当店の運営企業であった「マイカル北海道」は2001年(平成13年)8月28日に発行済式の58.84%にあたる645万株を「マイカル」が売却した〔“マイカル、マイカル北海道の株式を35社に売却”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年8月29日) 〕ことで同社の連結対象から離れ〔渡部宏人 (2007年6月19日). “ポスフール:名寄新規出店計画 市が“阻止”条例案 議会、21日にも採決”. 毎日新聞 (毎日新聞社)〕、2002年(平成14年)1月1日に社名を「ポスフール」に変更した〔。
同年9月14日に経営破たんしたマイカル〔“マイカル経営破たんの影響:マイカル北海道=“自主独立”サティ営業に影響ない”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年9月19日)〕の支援企業にイオンがなって「サティ」の店名を今後も残すことになった関係で店名使用料を求められるのを避けるため店名も変更することになり〔“マイカル北海道、店名も「ポスフール」に変更”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年12月21日)〕、2002年(平成14年)5月25日に当店は「ポスフール釧路店」に改称した〔。
その後、2003年(平成15年)11月10日にイオンが出資比率を30%に引き上げてポスフールと資本・業務提携したため〔“イオン、ポスフールと資本・業務提携で道内攻略に弾み”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年11月12日)〕、当店もイオングループの傘下に入ることになった〔“ポスフール イオン傘下へ 流通の勢力争い激化 警戒強めるライバル店”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2003年11月12日)〕。
2011年(平成23年)3月1日にイオングループの総合スーパーのブランド統一の一環としてポスフールからイオンへ店名が変更されることになり〔“ポスフールもジャスコもイオンに 3月1日から名称統一”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2011年2月16日)〕、当店も「イオン釧路店」へ変更となった。
こうした店舗ブランドの「イオン」への統一後も当店は従来からの百貨店系のファッションテナントを持つ強みを持っており、そのため「イオン釧路昭和店」は家族連れを中心顧客とすることで棲み分けを図っている〔“道東最前線 イオン至近2店 相乗効果 釧路昭和店、釧路店 「家族連れ」「アパレル」得意分野で集客”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2014年6月6日)〕。
また、シネマコンプレックスの「ワーナー・マイカル・シネマズ」は運営会社の「ワーナー・マイカル」が「イオンシネマ」と2013年(平成25年)7月1日に合併して「イオンエンターテイメント」となるのに伴い、劇場名を「イオンシネマ」に変更することになった〔“イオン、「ワーナー・マイカル・シネマズ」の劇場名を「イオンシネマ」に変更”. 日刊工業新聞(日刊工業新聞新聞社). (2013年6月12日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イオン釧路店」の詳細全文を読む




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