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イウカの戦い : ミニ英和和英辞書
イウカの戦い[いうかのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

イウカの戦い : ウィキペディア日本語版
イウカの戦い[いうかのたたかい]

イウカの戦い(イウカのたたかい、英:Battle of Iuka)は、南北戦争初期の1862年9月19日に、ミシシッピ州イウカで行われた戦いである。イウカ・コリンス方面作戦の最初の戦闘であり、北軍ウィリアム・ローズクランズ少将が南軍スターリング・プライス少将の進軍を止めた。
== 背景 ==
南軍の将軍ブラクストン・ブラッグ1862年9月にテネシー州から北のケンタッキー州に入ったので、北軍のドン・カルロス・ビューエル少将はそのオハイオ軍を率いてテネシー州ナッシュビルから追跡を始めた。南軍はビューエル軍がグラント少将のテネシー軍で補強されるのを防ぐ必要があった。その年の夏、コリンスの包囲戦以降、グラント軍はテネシー州西部とミシシッピ州北部で供給線を守っていた。
9月13日、南軍のスターリング・プライス少将はその西部軍をミシシッピ州テューペロからコリンスの東20マイル (32 km)にあるミシシッピ州北東部イウカの町に移した。そこは北軍の小さな補給基地であり、グラントがメンフィス・アンド・チャールストン鉄道沿線に作った一番東の基地だった。プライスの騎兵隊はそこに駐屯する小さな北軍守備隊が設けた防柵で小競り合いを演じた。9月14日の夜明け前、北軍の指揮官ロバート・C・マーフィー大佐は補給所の物資に火をつけ、その2,000名の旅団を率いてコリンスに戻った。南軍兵士は補給所に駆け込んで火を消し、貴重な物資の大きな集積を手に入れた。グラントはマーフィーを逮捕させ、軍法会議にかけた。
プライス軍はイウカで落ち着き、アール・ヴァン・ドーン少将の西テネシー軍約7,000名の到着を待った。2人の将軍は合流してグラントのテネシー州西部の通信線を攻撃する意図であり、それによってグラントが彼等の期待通りに動けばビューエル軍の応援に行くことを妨げ、もしグラントがより受動的に行動すればブラッグの北部侵攻の支援に回れると考えた。
グラントは攻撃されるのを待たず、南西に行軍するために4日間掛かるヴァン・ドーンの援軍が到着する前に、プライスに2部隊を集中させることを承認した。グラントはエドワード・オード少将のテネシー軍3個師団(約8,000名)にメンフィス・アンド・チャールストン鉄道に沿ってバーンズビルに送り出し、鉄道の北の道を採って北西からイウカに向かうようにさせた。また、ウィリアム・ローズクランズ少将が指揮するミシシッピ軍にはモービル・アンド・オハイオ鉄道沿いに同調して進ませ、2個師団(9,000名)がイウカに南西から回り込んでプライス軍の退路を塞がせ、一方、残りの軍隊でヴァン・ドーンの脅威からコリンスを守ることにした(ヘンリー・ハレック少将が東部に出発して以来、グラントは西テネシー地区の指揮を執っており、地区境界内で活動するローズクランズ軍を指揮下においていた)。比較的複雑な2方向からの攻撃計画はローズクランズの案であり、彼は以前イウカに駐屯していたのでその地域に詳しかった。グラントはオードの作戦本部と共に動き、戦闘中ローズクランズには戦術的な指示をほとんどしなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イウカの戦い」の詳細全文を読む




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