翻訳と辞書
Words near each other
・ アーニングインデックス
・ アーニー
・ アーニーボール
・ アーニー・アイズレー
・ アーニー・ウィット
・ アーニー・エルス
・ アーニー・ガンダーセン
・ アーニー・ジョンソン
・ アーニー・ダンカン
・ アーニー・チャップマン
アーニー・テレル
・ アーニー・ディフランコ
・ アーニー・デービス
・ アーニー・ハドソン
・ アーニー・バンクス
・ アーニー・パイル
・ アーニー・パイル・シアター
・ アーニー・パイル劇場
・ アーニー・パーカー
・ アーニー・フィオリト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アーニー・テレル : ミニ英和和英辞書
アーニー・テレル[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アーニー・テレル : ウィキペディア日本語版
アーニー・テレル[ちょうおん]
アーニー・テレル(Ernie Terrell、本名:アーネスト・テレル、1939年4月4日 - 2014年12月16日)は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。元WBA世界ヘビー級王者。モハメド・アリのライバル王者であったが、アリとの統一戦に敗れタイトルを吸収された。イリノイ州シカゴ生まれ。
== 経歴 ==
身長198センチの長身を活かしたジャバー(ジャブの名手)。アマのリングで活躍、1957年にゴールデン・グローブを獲得しプロへ。クリーブランド・ウィリアムスゾラ・フォーリーボブ・フォスターら強豪を下して世界ランク入り。
1965年5月、WBAがリターンマッチ禁止条項違反を理由にモハメド・アリから剥奪したタイトルをエディ・マッチェンと争い、15回判定勝ちでWBA世界ヘビー級王座に就く。ジョージ・シュバロダグ・ジョーンズと二度の王座防衛を達成したが、アリの陰に隠れ地味な存在のままだった。
1967年2月6日、WBC王者アリとの王座統一戦に臨む。試合前、テレルはアリを意図的に旧名の「カシアス・クレイ」と呼んで挑発した。試合はアリのワンサイドであったが、アリはテレルを乱打しながら止めを刺さず、「俺の名前を言え、言ってみろ」と叫び続けた。
アリが徴兵忌避によりタイトルを剥奪されたため、テレルは王座決定トーナメントに出場したが、サッド・スペンサーに敗れ王座返り咲きはならなかった。同年引退。その後一度カムバックを試みたが失敗。ボクシング・プロモーターに転身した。
1987年、シカゴの市会議員選挙に出馬するが落選。
2014年12月16日、イリノイ州の病院で死去。晩年は認知症を患っていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アーニー・テレル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.