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アーサー・ショーロー : ミニ英和和英辞書
アーサー・ショーロー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アーサー・ショーロー : ウィキペディア日本語版
アーサー・ショーロー[ちょうおん]


アーサー・レナード・ショーロー(Arthur Leonard Schawlow,1921年5月5日 - 1999年4月28日)は、アメリカ人物理学者レーザーの研究で知られ、1981年にノーベル物理学賞を受賞した。
==伝記==
母親のヘレン・メイソンはカナダ出身、父親のアーサー・ショーローはラトビアからの移民である。アーサーが3歳の時、一家はカナダのトロントに引っ越した。彼はキリスト教の熱心な信者である。
彼は16歳で高校を卒業し、奨学金を受け取ってトロント大学に進学した。学部を終了すると大学院に進学したが、第二次世界大戦によって一時中断した。戦後、研究に復帰し、マルコム・クロウフォードの下で博士号を取得した。1949年の秋にはコロンビア大学チャールズ・タウンズの下でポスドクとして研究を行った。
1951年、彼はチャールズ・タウンズの妹であるオーレリア・タウンズと結婚し、アーサー・ジュニア、ヘレン、エディスの三子をもうけた。アーサー・ジュニアは自閉症でほとんど喋れなかった。
彼は1951年にベル研究所に移り、1961年にはスタンフォード大学の教授になった。そして1996年に退官して名誉教授になるまでここで教授を続けた。
スタンフォード大学の教授であるショーローとロバート・ホフスタッターはともに自閉症児を持ち、互いに助け合った。アーサー・ジュニアは施設に入れられたが、後にショーローはカリフォルニア州パラダイスに自閉症児のケア施設を作った。この施設は、彼の死の直前の1999年にアーサー・ショーロー・センターと名づけられた。
彼の主要な研究は光学、特にレーザーやその分光学への応用に関するものだったが、彼は常に超伝導核磁気共鳴の研究も行っていた。ショーローはレーザー分光学への貢献により、ニコラス・ブルームバーゲンカイ・シーグバーンとともに1981年度のノーベル物理学賞を受賞した。
ショーローはチャールズ・タウンズとともに1955年に''Microwave Spectroscopy''を書き、1958年にはベル研究所でレーザーの特許を取得した。
1991年、NECアメリカ物理学会は、彼の名を冠した「レーザー科学におけるアーサー・L・ショーロー賞」を創設した。この賞は毎年、レーザーを使用した基礎的研究で顕著な業績を挙げた者に与えられる。
ショーローはニューヨーク州マウントバーノンで生まれ、カリフォルニア州パロアルト白血病により死去した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アーサー・ショーロー」の詳細全文を読む




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