翻訳と辞書
Words near each other
・ アンリ・ドゥ・リュバック
・ アンリ・ドカ
・ アンリ・ドカエ
・ アンリ・ドコアン
・ アンリ・ドコワン
・ アンリ・ドヌデュー・ド・ヴァーブル
・ アンリ・ドヌデュー・ド=ヴァーブル
・ アンリ・ドルレアン
・ アンリ・ドルレアン (1867-1901)
・ アンリ・ドルレアン (オマール公)
アンリ・ドロネー
・ アンリ・ド・ギーズ
・ アンリ・ド・サン=シモン
・ アンリ・ド・サン=レミ
・ アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック
・ アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
・ アンリ・ド・ナヴァル
・ アンリ・ド・ナヴァール
・ アンリ・ド・バイエ=ラトゥール
・ アンリ・ド・ブルゴーニュ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アンリ・ドロネー : ミニ英和和英辞書
アンリ・ドロネー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンリ・ドロネー : ウィキペディア日本語版
アンリ・ドロネー[ちょうおん]

アンリ・ドロネー(''Henri Delaunay''、1883年6月15日 - 1955年11月9日)は、欧州サッカー連盟(UEFA)の初代事務局長。フランスパリ出身。
アンリ・ドロネーはパリのサッカークラブでプレーしたのち審判員となった。しかし、試合中にボールが顔面に当たった際に口にくわえていたホイッスルによって歯を2本折ってしまい、これを機に彼は審判をやめてしまう。
1906年、23歳でフランス・インターフェデラル・コミッティー(CFI)の事務局長に就任した。CFIは1919年フランスサッカー連盟(FFF)となるが、彼はひきつづき事務局長として留まった。
1920年国際サッカー連盟(FIFA)に引き抜かれ、競技規則に関する諮問委員となった。1924年から1928年まで、ルール制定などを行う国際サッカー評議会(IFAB)にFIFA代表として参加。この頃、ジュール・リメによってFIFAワールドカップの開催が提案されると、1927年アンリ・ドロネーはワールドカップ実現の第一歩としてヨーロッパ選手権の開催を提案。しかし、ワールドカップの初開催が決定したあと、FIFAはその準備に追われ彼の提案は見送りになった。
1954年欧州サッカー連盟(UEFA)が創立。初代事務局長となったアンリ・ドロネーはヨーロッパ選手権を実現するべく奔走する。ところが翌年彼は病にかかり、欧州選手権の実現を見ることなくこの世を去ってしまった。彼の意志をついで息子のピエール・ドロネーが2代目のUEFA事務局長に就任。とうとう1960年に初めての欧州ネイションズカップフランスで開催され、この大会の実現に尽力した彼の功績をたたえて優勝トロフィーはアンリ・ドロネー杯と名付けられた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンリ・ドロネー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.