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アンダース・ヨハンソン : ミニ英和和英辞書
アンダース・ヨハンソン[あんだー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アンダー : [あんだー]
 【名詞】 1. under 2. (n) under
ダース : [だーす]
 【名詞】 1. dozen 2. (n) dozen
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンダース・ヨハンソン : ウィキペディア日本語版
アンダース・ヨハンソン[あんだー]

アンダース・ヨハンソン (Anders Johansson 1962年5月25日 - )はスウェーデンヨーテボリ生まれのヘヴィメタルドラマー。父はジャズピアニストの、実弟はフィンランドのヘヴィメタルバンドストラトヴァリウスのキーボーディストのイェンス・ヨハンソン
== プロフィール ==

*幼少期から弟のイェンスと共にピアノを習っていたが、14歳の頃に自転車事故を起こしたのをきっかけに母親からドラムセットを買い与えられ、ドラマーにスイッチする。1979年から1982年まで大学院で電子工学を学んでいた。
*1982年、イェンスと共にジャズフュージョンバンド『Slem』を脱退し、ヘヴィメタルバンドのシルヴァー・マウンテンに参加。1982年から1983年スウェーデン海軍に在籍。1984年カリフォルニアへ渡り、前年に渡米したイェンスが加入したイングヴェイ・マルムスティーンのバンドであるライジング・フォースにドラマーとして加入。アルバム『マーチング・アウト』より5枚のアルバムに参加し、それに伴う世界ツアーにも参加したが、『オデッセイ』当時のヴォーカリストであるジョー・リン・ターナーとアンダースとイェンスが音楽的に対立。1989年、オデッセイツアーを最後にイェンスは脱退しDioに加入。アンダースも遅れて脱退、スウェーデンに帰国した。ヨハンソン兄弟が在籍していた頃のライジング・フォースが黄金期であったと評価されている。
*その後はスタジオミュージシャンやセッションドラマーとして活動。1990年代はイェンスと共にヨハンソンブラザーズとしてソロ活動に精を出しており、ジンジャー・ベイカーとも共演している。1999年にスウェーデンのパワーメタルバンド・ハンマーフォールにセッションメンバーとして2000年のLegacyツアーから参加したが、後に正式メンバーとなる。近年はスウェーデンのヘヴィメタルバンドNarniaにも参加している。
*2004年にイェンスが加入しているストラトヴァリウスのドラマーヨルグ・マイケルが一時期脱退してしまった際には、サポートメンバーとして参加することになったが、音楽性の違いや気難しいティモ・トルキとそりが合わないことや、ハンマーフォールとの両立が難しいために、ライブ活動も音源を残す事もなく1週間ほどで脱退したことがある。
*弟のイェンスと共に設立したヘプタゴン・レコードから、父親のヤン・ヨハンソンの音源をCD化したり、スウェーデンの若いミュージシャンを発掘しデビューさせている。
*既婚者であり、夫人との間に二子がいる。
*身長は194センチ、テコンドーを趣味としている筋肉質でかなり大柄な体つきであるが、ドラムプレイはパワフルさよりも手数が多めのテクニカルなプレイを得意とする。
*イェンスと共にいたずら好きな性格で知られており、ハンマーフォールのオフィシャルフォトでは一人だけ変顔をして写真に写ったり、ハンマーフォールのオフィシャルマイスペースには、愉快な動画が掲載されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンダース・ヨハンソン」の詳細全文を読む




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