翻訳と辞書
Words near each other
・ アルフレッド・ライオン
・ アルフレッド・ラクロワ
・ アルフレッド・ラッセル・ウォレス
・ アルフレッド・ラドクリフ=ブラウン
・ アルフレッド・ラベル
・ アルフレッド・ランシング
・ アルフレッド・ランドン
・ アルフレッド・ラヴェル
・ アルフレッド・リオクリュー
・ アルフレッド・リコニー
アルフレッド・リード
・ アルフレッド・ルイス・ヴェイル
・ アルフレッド・レッティエリ
・ アルフレッド・レナール
・ アルフレッド・レーダー
・ アルフレッド・ロッコ
・ アルフレッド・ロトカ
・ アルフレッド・ローゼンベルク
・ アルフレッド・ローゼンベルグ
・ アルフレッド・ローソン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アルフレッド・リード : ミニ英和和英辞書
アルフレッド・リード[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルフレッド・リード : ウィキペディア日本語版
アルフレッド・リード[ちょうおん]

アルフレッド・リードAlfred Reed, 1921年1月25日 - 2005年9月17日)は、アメリカの作曲家指揮者。特に吹奏楽においては、20世紀を代表する音楽家の1人とされる。
200曲以上の吹奏楽作品がある。指揮者としての活動も活発で、親日家でもあり来日回数も多かった(最晩年にも来日している)。プロの吹奏楽団のみならず教育団体・一般団体からの委嘱作品も存在する。
== 人物・来歴 ==
1921年1月25日ニューヨークで生まれる。
10歳からトランペット、15歳から作曲を学び、高校を卒業すると放送局の作曲編曲兼副指揮者の仕事に就く。
1942年、21歳のときに第529陸軍航空隊バンドに配属され、副指揮者・ディレクターとなる。除隊後1946年ジュリアード音楽院に入学、ヴィットリオ・ジャンニーニに作曲を師事する。
その後NBCCBSABCなどで音楽番組の制作に関わっていたが、1953年ベイラー大学シンフォニーオーケストラの指揮者に就任し指導を行う。同時に1955年から1966年までハンセン出版社の責任編集者を務めた。
1966年にはマイアミ大学音楽学校の教授となり、1993年まで作曲・理論を教えるかたわら、世界中のバンドと共演し、また数々の作品を発表した。
1968年にはペルーのリマにあるペルー国立音楽院から名誉博士号を受ける。
日本では彼の作品「音楽祭のプレリュード」が全日本吹奏楽コンクールの課題曲に採用されたことをきっかけに広く知られるようになった。1981年東京佼成ウインドオーケストラの招きを受けて初来日。1988年からは洗足学園音楽大学客員教授を務め、また数多くのアマチュア楽団を精力的に指導した。大阪の民放・毎日放送テレビの放送開始・終了の音楽も手がけた。
2005年9月17日フロリダ州コーラルゲーブルスで老衰のため死去。84歳没。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルフレッド・リード」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.