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アメリー・ド・ボアルネ : ミニ英和和英辞書
アメリー・ド・ボアルネ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アメリー・ド・ボアルネ : ウィキペディア日本語版
アメリー・ド・ボアルネ[ちょうおん]

アメリー・オーギュスト・ウジェニー・ナポレオーヌ・ド・ボアルネフランス語名:, 1812年7月31日 - 1873年1月26日)は、ブラジル皇帝ペドロ1世の2度目の皇后。
ロイヒテンベルク公ウジェーヌ・ド・ボアルネバイエルン王女アウグステの三女(第4子)としてミラノで生まれた。同母姉にスウェーデン王妃ジョゼフィーヌがいる。
1829年、兄アウグスト(ロイヒテンベルク公、のちペドロと先妻マリア・レオポルディナの長女マリアと結婚する)に伴われてブラジルへ来訪し、ペドロと結婚した。ペドロはアメリーの美しさに満足し、結婚を祝して帝立バラ勲章を設立した。
1831年4月にペドロが帝位を長男ペドロ・ダ・アルカンタラ(ペドロ2世)に譲り、アメリーを伴いポルトガルへ帰国。王位を僭称する実弟ミゲルとの戦いを制し、マリア2世の名のもとにブラガンサ公位と摂政の座を奪い返した。
ペドロが1834年の終わりに急死すると、アメリーは慈善活動と一人娘マリア・アメリアの養育に専念した。しかし、マリア・アメリアは母親より先立って肺結核で早世した。
アメリーはリスボンで亡くなり、サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院の王家の墓所に葬られた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アメリー・ド・ボアルネ」の詳細全文を読む




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