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アニェス・ド・メラニー : ミニ英和和英辞書
アニェス・ド・メラニー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アニェス・ド・メラニー : ウィキペディア日本語版
アニェス・ド・メラニー[ちょうおん]
アニェス・ド・メラニー(Agnès de Méranie)またはアニェス・ダンデクス(Agnès d'Andechs, 1180年頃 - 1201年7月20日)は、フランスフィリップ2世の3番目の王妃。父はメラーノ公ベルトルト4世、母はアグネス・フォン・ロホリッツ。姉にシレジア守護聖人として知られるヤドヴィガ(ヘートヴィヒ)がいる。
フィリップ2世は1190年に最初の王妃イザベル・ド・エノーと死別した後、1193年デンマーク王女インゲボルグと再婚したものの、彼女が気に入らず、離婚を宣言して1196年にアニェスと結婚した。しかしインゲボルグは離婚を認めず、ローマ教皇ケレスティヌス3世に訴えた。結果、この結婚は無効とされたが、フィリップ2世はそれを認めず、なおもアニェスを王妃とした。その後、イングランドジョンとの対抗上、教皇の支持を求めることになり、やむなく1201年にアニェスと別れた。アニェスは同年のうちに若くして死去。遺体は現イヴリーヌ県にあるサン=コランタン王立修道院(Abbaye Saint-Corentin)に埋葬された。アニェスとの間に生まれたフィリップ・ユルプル(1201年 - 1235年)は庶子とされた。娘マリーはブラバント公アンリ1世と結婚した。
アニェスの死後、フィリップ2世はインゲボルグを監禁状態に置いていたが、教皇の要求やインゲボルグの兄ヴァルデマー2世との和解のため、1213年に彼女を呼び戻し、再び王妃として遇した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アニェス・ド・メラニー」の詳細全文を読む




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