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アッツ島沖海戦 : ミニ英和和英辞書
アッツ島沖海戦[あっつとうおきかいせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [おき]
 【名詞】 1. open sea 
海戦 : [かいせん]
 【名詞】 1. naval battle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

アッツ島沖海戦 : ウィキペディア日本語版
アッツ島沖海戦[あっつとうおきかいせん]

アッツ島沖海戦(アッツとうおきかいせん)とは第二次世界大戦中、コマンドルスキー諸島近海で起きた日本海軍アメリカ海軍との間の海戦連合国軍側の呼称はコマンドルスキー諸島海戦(''Battle of the Komandorski Islands'')〔#モリソンの太平洋海戦史218頁〕。1943年(昭和18年)3月26日、アメリカ海軍が日本軍のアリューシャン列島方面への輸送を阻止しようとして艦隊を派遣したことで生起した、典型的な昼間水上戦闘である〔#図説太平洋海戦史第3巻79頁〕。日本艦隊の稚拙な指揮により、米艦隊は退避に成功した〔。アッツ島への日本軍増援は失敗し、アッツ島玉砕の遠因となった〔#図説太平洋海戦史第3巻84-85頁『二の(二)アッツ島沖海戦失敗の影響』〕。

== 背景 ==
1942年(昭和17年)6月上旬、日本軍はミッドウェー島の占領をめざすミッドウェー作戦の一環としてアリューシャン作戦を発動、アッツ島キスカ島を占領した〔。日本軍は輸送作戦を繰り返し行い両島の守備を強化していった。一方のアメリカ軍は、空襲と、潜水艦の投入によって日本軍に対抗した〔。1943年(昭和18年)1月にはキスカ島南東のアムチトカ島に飛行場を建設し空襲を強化した〔#ニミッツの太平洋海戦史154-156頁『アッツとキスカの奪回』〕。また、2月にはチャールズ・マクモリス少将が指揮する艦隊が進出し、日本軍の輸送船を攻撃しはじめる〔。このため、この方面を担当する日本海軍第五艦隊(細萱戊子郎中将)は全力で輸送船の護衛にあたることとなり、3月10日には特設水上機母艦君川丸、粟田丸がアッツ島に到着して輸送を成功させた〔。続いて3月22日、輸送船「浅香丸、崎戸丸、三興丸」が重巡洋艦「那智(旗艦)、摩耶」と第一水雷戦隊(司令官森友一少将)等に護衛されて幌筵島を出航した〔#太平洋海戦史Ⅳ180頁〕。マクモリス少将も日本軍の輸送を予想し、本海戦の数日前から重巡洋艦「ソルトレイクシティ」などからなる艦隊でアッツ島沖を遊弋していた〔#モリソンの太平洋海戦史219頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アッツ島沖海戦」の詳細全文を読む




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