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アシュラフ・イーナール : ミニ英和和英辞書
アシュラフ・イーナール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アシュラフ・イーナール : ウィキペディア日本語版
アシュラフ・イーナール[ちょうおん]

アシュラフ・イーナール((? - 1460年)は、エジプトを支配したブルジー・マムルーク朝の第14代スルタン(在位:1453年 - 1460年)。
第12代スルタンであったザーヒル・ジャクマクに仕えたマムルークで、ジャクマクがロドス島遠征を行なったときにはその総司令官を務めた。1453年のジャクマクの死後、その息子のマンスール・ウスマーンが失政を行なってマムルークの支持を失ったのを見てクーデターを起こし、スルタンに即位した。
イーナールの時代にはオスマン朝の勢力拡大が急速に進められており、即位した年には遂に東ローマ帝国が滅ぼされている。このため、小アジアやバルカン半島に残っていた東ローマ帝国系の小王国やカラマン君侯国らはオスマン朝に対抗するためにマムルーク朝に援軍を求めたが、国内では黒人奴隷(ジャルバーンの反乱)が起こっていたためにその余裕が無く、またイーナール自身もオスマン朝とは友好を求めたためにそれらの要請を拒絶し、これは後年にマムルーク朝がオスマン朝に圧迫される一因をなした。
1460年に死去すると、息子のムアイヤド・アフマドが後を継いだが、やはり世襲はならなかった。
== 関連文献 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アシュラフ・イーナール」の詳細全文を読む




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