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わいわいスポーツ塾 : ミニ英和和英辞書
わいわいスポーツ塾[わいわいすぽーつじゅく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [じゅく]
 【名詞】 1. coaching school 2. lessons 

わいわいスポーツ塾 : ウィキペディア日本語版
わいわいスポーツ塾[わいわいすぽーつじゅく]

わいわいスポーツ塾』(わいわいスポーツじゅく)は、1987年10月5日から1992年9月21日までTBS系列局で放送されていたスポーツを題材にしたクイズ番組である。
司会者は自らもプロ野球選手を経験した板東英二(番組では「塾長」とされていた)とTBSアナウンサー長峰由紀雪印グループの雪印乳業(現・雪印メグミルク)ほか(雪印食品雪印ローリー雪印種苗)の単独提供番組で司会者席には雪印のロゴが表示されていた。スポーツ局(後にTBSスポーツ→現在TBSテレビに移管)も製作に関与した番組だった。
== 番組概要 ==

*様々なスポーツの話題を取り上げ、競技のルールやその地域で行われる独特のイベントなどからクイズを出題し、塾生(解答者)がそれを答えるという形態の番組だった。
 *番組初期は問題は4問・全て書き問題(但し、初回から数週間は一問一答式の口頭で答える○×クイズも出題された。)で、答えはフリップボードに書いて解答。1問正解につき、チアガールの格好をした「ブタちゃん人形」が置かれ、これを3個以上獲得でトップ賞に相当する「首席」となり、賞品が贈られる。逆に2個以下だと首席無しとなった。また、レギュラー解答者に絶対にクイズに強いという解答者が少なく、初期の頃は首席無しも月に1回程度は出ていた。
 *番組後期は解答をライトペンを使って書き、後ろのテレビモニターに出す形式であり、解答はブルーバックで出され、正解・不正解は赤い○と×で出された。クイズも正解で100点の通常問題に加えて「タイムトライアル」と称した早書き早押し問題(通常の早押しではなく、解答を書くのに掛かった時間で得点を決める方式。制限時間は10秒、解答を書いた後にボタンを押して得点を決定する。正解すると残り時間×10点の得点が加算、最高点は1秒以内に解答を書く100点。高得点を得ようと早く書くため、筆跡が大きく崩れてしまう場合があり、板東が解答をチェックする)や、レギュラーはトップ賞でメダルを1枚獲得して5枚貯めると、ゲストは500点以上獲得するとバルセロナ旅行をプレゼントする企画も行われた。全員不正解のときの掛け声は「この問題はアウトでーす」と言って全員不正解のBGMが流れた。
*バルセロナオリンピック大会期間中はTBSのスタジオとバルセロナにあるIBC(国際放送センター)・TBSスタジオの2元生放送を実施した。
*スタジオのセットは当時の『世界・ふしぎ発見!』のセットにそっくりのものだった(初期のものは『世界まるごとHOWマッチ』)。
*視聴率は比較的高く、最高で25%を超えることもあった。(番組最高視聴率は1990年1月22日放送の26.6%)
*5年も続いた人気番組だったが、30分前の番組である『クイズ100人に聞きました』と同様に当時の磯崎洋三社長の「つるの一声」で打ち切りとなり、『ムーブ』というバラエティ番組を開始したため発展的に番組は終了。最終回は「さよなら卒業大試験!!」と題し1時間の拡大版で放送した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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