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Joyfull ( リダイレクト:ジョイフル ) : ウィキペディア日本語版
ジョイフル

株式会社ジョイフル(Joyfull Co., Ltd.)は、本社を大分県大分市に置き、九州を中心にファミリーレストラン「ジョイフル」をチェーン展開するチェーンストアを子会社に持つ持株会社である。
福岡証券取引所単独上場銘柄の一つである(証券コードは9942)。「Joyfull」はjoy(楽しさ)とfull(いっぱい)を足し合わせた造語で、英語形容詞の「joyful」とは綴りが異なる。
== 概要 ==
小商圏への出店と低価格戦略を特徴とする。また、各店舗玄関の表札に開業年月日を記載している。
1号店は、1979年2月に大分県大分市萩原に開店した萩原店(店舗は存続しているものの、1998年に改築されたため開店当時の建物は現存しない)。
原則全店直営だが、長崎県(波佐見店は除く)、沖縄県鹿児島県奄美地方などはフランチャイズである。かつては地域子会社による店舗展開が行われていたが、2004年6月1日までにすべてジョイフル本社に合併されている。
また、新業態としてショッピングセンターフードコート内に出店する「ジョイフルQ」と「はらぺこ丸」の展開を開始し、2005年3月22日福岡県筑紫野市に1号店が開店したものの、失敗に終わり2007年には閉店している。現在は、大分県内に数店舗が存続している〔はらぺこ丸 〕〔「ジョイフルQ」は公式ウェブサイトには記載されていない。〕。
また、コンビニよりも早い時期に24時間営業を開始している〔ただし、24時間営業の開始時期はデニーズのほうが2年ほど早い。デニーズは1974年に創業し、1977年に初の24時間営業として開始している。〕。また、2000年には22時以降の来店客から徴収していた深夜割増料金を撤廃している。これまで全店24時間営業で、また不採算を理由とした閉店を行わなかったが、2004年より不採算店舗を閉鎖、また一部の店舗で24時間営業を取りやめている。閉鎖第1号は高知県中村市(現・四万十市)の高知西中村店で、わずか3年ほどの営業だった。ただ、このときは当初約30店舗の閉鎖・約100店舗の深夜営業取りやめを予定していたものの、実際はそれより少ない数にとどまった。
2015年3月末現在751店舗。北海道宮城県以外の東北地方、甲信越地方、神奈川県には全く店舗がない。また、岐阜県以外の東海3県と大阪府は府県庁所在地に店舗がない(かつては1店舗のみ大阪市に出店していた)。一時期はハイペースで出店していたが業績の悪化により、2005年12月15日開店の高松扇町店(香川県高松市)を最後に直営での新規出店を凍結することとなった(フランチャイズの鹿児島県奄美・沖縄県では2011年現在も新規出店展開中)。
一時期別府市の老舗ホテル・亀の井ホテルを傘下にしていた。1994年に買収したが、本業集中のため2002年にジョイフル創業者で当時の社長だった穴見保雄(一部は当時の亀の井ホテル社長の古川功)が株式(約95%の株式を保有していた)を引き取り、グループを離れた。
Jリーグ大分トリニータのスポンサーである。2005年はドリンク券の絵柄にトリニータの選手の写真を使用していた。また、過去にはデビッド・ベッカムのドリンク券とそれを収納するホルダーを販売していたこともある。
2003年度のイメージキャラクターに初めてアニメのパワーパフガールズを採用し、その後も仮面ライダーシリーズプリキュアシリーズ(2007 - 2009年)のキャンペーン展開をしていたが、現在はイメージキャラクターの採用及びタイアップはしていない。
2007年7月21日、当時社長の穴見陽一が外食売上低迷を打開する為、中国に進出したいと抱負を述べ、中国準備室を設置し来年夏をめどに北京上海に一号店を開店させたいと語った。また、同年度から初めてアメリカ(ロサンゼルス)、中国(上海)へ正社員の海外研修制度が始まった。2008年に2店舗を開業したものの、2009年5月末の営業休止が決まった〔海外子会社の営業休止に関するお知らせ 〕。その後2010年4月12日にその子会社も解散し、正式に撤退した〔http://www.joyfull.co.jp/ir/news_r/img/100412_2.pdf〕。
2007年12月13日、穴見陽一の次期衆議院選挙立候補表明を受け、2008年1月1日付で常務の長尾一徳が社長に就任し、穴見は代表権のある会長に就任した。創業家以外では初の社長だが、同時にプロパーでもない社長(長尾はサントリーフーズから送り込まれた)でもある。また同時に、代表権のある副社長に就任した井上博基もプロパーではない。その直後には、2年ぶりの直営新店舗である高知金田店(高知県高知市)を開業させている。また、原油高の影響で郊外店の売上が伸び悩んでいる影響で、同年11月までに130店舗以上で深夜の営業を取りやめることとなった。新たに都市部の顧客を狙う為に、2008年9月に福岡天神(福岡警固公園前店)に初めて都市部に出店することとなった。
一方で、全店舗的に売上が低迷し、2008年下期に不採算7店舗の閉鎖を発表。これに世界同時不況が追い討ちをかける形となり、同年通期には赤字に転落した。この責任を取る形で2009年3月26日に長尾一徳は代表権のない社長となり、穴見陽一と井上博基はジョイフルを去り、代表権は会長の児玉幸子〔穴見保雄の義妹でジョイ開発社長。創業以来取締役に名を連ねていたが2004年に監査役に回り、2006年3月にジョイフルを去っていた。2008年12月に顧問として復帰。〕のみが持つことになる。また、2008年12月期の有価証券報告書によれば、不採算店舗については土地賃貸契約の期間満了をもって閉鎖することも検討すると示されているが、翌期には不採算店舗の撤退に関する文言はなくなっている。
2010年3月25日の定時株主総会をもって長尾が取締役社長を退任し、会長の児玉が社長に就任した〔https://www.release.tdnet.info/inbs/140120100325054682.pdf〕。前社長の児玉幸子は社長個人としてのメディア取材は一切受けず、また、公式ホームページにも写真を出さず、地元財界の会合にも出ていないが、2011年1月発行のジョイフル労働組合の機関誌「ジョイくみ」にて初めて顔が公開された。
2011年3月24日、穴見陽一が社長に復帰し、児玉は代表権のない会長となった。
2012年3月23日、穴見陽一の妻の穴見くるみが社長となったが、同日の定時株主総会で、共同代表制を否定し、代表取締役は1名のみとする定款改正が行われたため、代表権はなく、相談役となった陽一のみが代表権を持ち、対外的な対応をつとめている。
2013年3月に、ロゴマークを変更。同時に、シンボルマークも新設した。また、久しく出店していなかった関東地方への出店も再開している。
2013年3月24日の定時株主総会で、穴見陽一が前年の第46回衆議院議員総選挙で当選したのを受け、一度は否定した共同代表制を復活させ、社長のくるみも代表権を持つこととなった。ただ、前会長の児玉幸子はこのときに取締役を退任したものの、議決権の3分の1超を保有するジョイ開発の社長であることから、顧問として今なおジョイフルへの影響力を持ち続けている。
2015年春に発表された昨年度決算では売り上げは増加したものの、円安による仕入れ費の増加が支出額を押し上げ、増収減益となった。
主要取引銀行は伊予銀行で、大株主でもある。これに続くのが西日本シティ銀行(旧西日本銀行の流れ)で、こちらは子会社の西日本信用保証が大株主となっている。また、ジョイフルもこの両行の株式を保有している〔2010年12月期有価証券報告書p.32。〕。地元の大分銀行も取引はあるが、この両行ほど親密ではない。
2016年1月1日をもって持株会社体制となり、店舗は後述する11の地域子会社(2015年11月2日設立)に承継された〔子会社の設立及び会社分割(簡易分割・略式分割)による持株会社体制への 移行並びに子会社との吸収分割契約書締結のお知らせ 〕。
* 現存する最北端かつ最東端店舗:気仙沼松川店(宮城県気仙沼市。東日本大震災で被災し閉店した気仙沼店とは別の店舗)
* 現存する最南端店舗かつ最西端店舗:宮古店(沖縄県宮古島市
* 現存する最西端直営店舗:佐賀伊万里店(佐賀県伊万里市
* 現存する最南端直営店舗:指宿山川店(鹿児島県指宿市

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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