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B×Bハルク : ミニ英和和英辞書
B×Bハルク[びー びー はるく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


B×Bハルク : ウィキペディア日本語版
B×Bハルク[びー びー はるく]

B×Bハルク(ビー・ビー・ハルク、1980年7月15日 - )は、日本男性プロレスラー北海道札幌市出身。本名は石原 輝政(いしはら てるまさ)。DRAGON GATE所属。
== 経歴 ==
早くからプロレスラーを志し、その前段階として陸上自衛隊に在隊しレンジャー隊員の資格を有する(よく言われるレンジャー部隊という部署は存在しない)。2005年3月5日の横須賀享戦でデビュー。DRAGON GATEでデビューしたレスラーは鷹木信悟に続き2人目。マグナムTOKYOからプロレスの手解きを受け、彼がプロデュースするユニットPos.HEARTSに編入される。甘いマスク、陸自出身の経験を生かした軽い身のこなし、入場時のダンスで早くも高い女性人気を獲得している。2006年4月23日ついに同期の鷹木信悟からシングルで初勝利を果たしオープン・ザ・ドリームゲート王座の挑戦権を得る。2006年はPos.HEARTSに所属しながら、新生ブラッドジェネレーションと行動を共にしていた。
新日本プロレスの興行であるLOCK UPにも参戦。日本のジュニアヘビー級の重鎮・獣神サンダー・ライガーは、2006年11月19日にタッグパートナーとしてハルクと組み、その試合後に「B×Bハルクは初代タイガーマスクを超えている」と賞賛するなど、彼の実力・潜在能力を高く評価した。
CIMA、横須賀享、斎藤了ドラゴン・キッドアンソニー・W・森と共に新生ユニット『Typhoon』を立ち上げるも、2007年4月17日の後楽園大会でのなにわ式イルミネーションマッチに勝利し、終了後にタイフーンから離脱、鷹木信悟、サイバー・コングYAMATOと共にNEW HAZARDを結成、新世代のユニットとして行動することとなった。
2007年6月1日から新日本プロレス「BEST OF THE SUPER Jr.」へ参戦、初戦は金本浩二に敗北するも2戦目の外道戦で初白星を挙げ、内藤哲也戦でも白星を挙げた。
1か月後の7月10日の後楽園大会でCIMAの持つオープン・ザ・ドリームゲートへの挑戦権を懸けたワンナイトトーナメントに出場。1回戦でタイフーンの斎藤了と対戦し熱戦の末勝利し、決勝戦進出を決めた〔RAINBOW GATE ~開幕戦~ 2007.7.10 試合結果 DRAGON GATE公式サイト〕。ところが斎藤了との試合中に顎を骨折し全治2か月の大怪我をしてしまい、結局決勝戦は棄権となり、同時にそれまで保持していたオープン・ザ・トライアングル・ゲートも返上した。
同年9月14日の後楽園大会で、YAMATOと共に10月12日の後楽園大会で復帰することをファンに報告。それに合わせて9月の海外遠征でYAMATOと共に一足早い復帰を飾った。
2008年2月24日の福井市体育館にて、鷹木信悟、サイバー・コングとともにオープン・ザ・トライアングル・ゲートを奪取。第17代王者となった。ところが同年4月17日、同ユニットのメンバーであるYAMATOがマッスル・アウトローズに加入。YAMATOはマッスル・アウトローズとしてハルク達の持つオープン・ザ・トライアングル・ゲートに挑戦を表明。5月14日に防衛戦が組まれ、その試合前に王者組によるダンスが披露されることとなった。
そして5月14日、王者組は試合前に3人でダンスを披露する。しかしその直後、鷹木信悟、サイバー・コングがハルクを攻撃した。鷹木はNEW HAZARDとマッスル・アウトローズを統合し、新ユニットREAL HAZARDとして活動することをアピール。オープン・ザ・トライアングル・ゲート新王者となった鷹木達REAL HAZARDのメンバーがハルクを痛めつける中、突如、土井成樹吉野正人が乱入。ハルクを助け出し、二人が作った新ユニット、WORLD-1に勧誘。ハルクもこれに同意し、土井成樹吉野正人谷嵜なおきm.c.KZ.そしてB×Bハルクの五人でWORLD-1として活動して行くこととなった。
6月29日の大阪大会にて、オープン・ザ・ドリームゲート挑戦者決定戦として鷹木信悟と対戦。しかし、結果は60分時間切れ引き分けとなった。この試合に感動した当時の王者であり、首の故障により欠場中だったCIMAはリング上で王座の返上を宣言。7月27日の神戸大会にてオープン・ザ・ドリームゲート王座をかけ、再び鷹木と対戦するも、激闘の末敗戦。
2008年のKING OF GATEでは2年連続で初戦で斎藤了と対戦した。この年も勝利したが斎藤了が試合中に腕を負傷したためによるレフェリーストップだったため、両者の遺恨を深めることになった。そして2009年1月12日、再び斎藤とシングルで戦う。敗れはしたものの互いの実力を認め合い、斎藤をWORLD-1に勧誘する。1月18日には、斎藤から自らと横須賀享と共に3人で新ユニットを作ろうと逆に勧誘され動揺する。しかし2月15日に行われたツインゲート戦で斎藤が横須賀を裏切りREAL HAZARDに加入したため、勧誘の話は白紙になった(横須賀享はその後、Gammaらと新ユニット「WARRIORS-5」を結成したため)。
2010年5月からの鷹木の再三に渡る挑発がきっかけとなり入場パフォーマンスであるダンスを封印した。そして7月の神戸ワールド記念ホールにてカベジェラ戦が決まった(しかしDGUSAでは別のようである)。
2010年7月の神戸ワールドで鷹木に破れ、坊主になった。その後、新崎人生が参戦時にタッグパートナーで1度限りの本名「石原輝政」で同様のお遍路スタイルで登場した。
2011年4月14日の後楽園ホール大会での「オープン・ザ・トライアングルゲート選手権試合~トライアングルゲート・コントラ・解散~」マッチで、王者チームであったBlood WARRIORSのCIMA、ドラゴン・キッド、リコシェ組に破れ、自身が所属していたWORLD-1が、解散となるが、同日に新オープン・ザ・ドリームゲート王者となった望月成晃の「2大ユニット構想」の呼びかけで、吉野正人らとともに、望月と共闘していく事となる。その後の、4月24日の博多スターレーン大会において、正式合体を表明する。
2011年のKING OF GATEでは対抗する勢力であるBlood WARRIORSの土井成樹(1回戦)・斎藤了(2回戦)・CIMA(準決勝)・神田裕之(決勝)を破り、初優勝を果たす。
6月8日、後楽園ホールにて当時ツインゲート統一タッグ王者の斎藤・堀口組とスペシャルタッグマッチを組まれ、因縁の相手である鷹木と組む予定だったが、Blood WARRIORSに寝返る。
自身としては初のヒールターンになる
その後、ラフ殺法を絡めての攻撃で連勝する。
6月18日、博多スターレーン大会にてドリームゲートを防衛した直後の望月成晃に対してファースト・フラッシュを打ち込んでKO状態に追い込みドリームゲート挑戦をアピールし、同王座への挑戦が決まる。
7月8日の後楽園ホール大会では宿敵・ライバルの鷹木信悟に対してTKO勝ちするも、7月17日の神戸ワールド記念ホール大会で行われた望月とのドリーム戦には25分を超す熱戦の末、敗北。
8月に行われたSummer Adventure Tag Tournament2011では戸澤陽と組み、4連勝・優勝を果たした。このシリーズではスペル・シーサーのマスクを剥ぎ、YAMATOの髪の毛を切る。最後には表彰状を破るなど傍若無人に暴れまわった。
2012年年12月、福岡国際センター大会にてCIMAの保持するドリームゲート王座に鷹木信悟を交えた3WAYマッチで挑戦するが、王座奪取はならなかった。
2013年3月2日ウーハー・ネイションとのタッグで望月成晃&ドン・フジイ組の保持するツインゲート王座に挑戦。これに勝利し、第24代王者となる。その後、鷹木信悟&YAMATO組に敗れるまで1度の王座防衛に成功した。
6月、戸澤とのタッグで前回の防衛戦で王座から陥落させられた鷹木&YAMATO組の保持するツインゲート王座に挑戦。試合終盤、YAMATOが鷹木を裏切ったことにより同王座を獲得し、第26代王者となった。
7月21日、神戸ワールド大会で土井成樹&リコシェ組とツインゲート王座の防衛戦を行うが、これに敗れ、同王座から陥落した。
10月6日、YAMATO、サイバーコングとのタッグで空位となっていたトライアングルゲート王座の新王者決定戦を吉野正人&鷹木信悟&戸澤陽と行い、これに勝利し第44代王者となった。
12月22日、吉野の保持するドリームゲート王座に挑戦したが、これに敗れ、王座奪取に失敗した。
2014年5月5日の敗者髪切りマッチの試合後にMAD BLANKEYメンバーのYAMATOと土井成樹にファーストフラッシュを喰らわせて同ユニットを脱退し、1人で戦って行くことを発表した。ハルク自身はMAD BLANKEY所属と言っているが6月5日の後楽園ホール大会でノンブレ・コントラ・ノンブレ5 vs 1 スクランブル・イリミネーションマッチで一番目に登場した問題龍に勝つも2戦目のKzyで敗れMAD BLANKEYの名はYAMATO・土井・サイバー・Kzy・問題龍達のものとなった。しかしハルクの助っ人として各チームから代表で選手が登場しCIMA率いるドリームチームを結成し緊急決定試合としてCIMA・ススム・T-Hawk・戸澤の4人が緊急合体し新生MBと対戦。試合はハルクがKzyに勝利する。
6月22日、Gamma第二の故郷和泉凱旋大会のメインイベントで大阪06とのトリオを結成しサイバー・コングから勝利。試合後YAMATOの持つドリームゲート挑戦を表明。
7月3日、後楽園ホール大会で封印していた入場時のダンスをパートナーのB×Bマサと見せるが試合はDr.マッスルの介入などで敗北。
7月20日、神戸ワールド大会でYAMATOが保持するオープン・ザ・ドリームゲートに挑戦し切り札のフェニックス・スプラッシュを決めて勝利し20代王者となる。またハルクにとっては7度目の挑戦で初戴冠となる。
8月17日、土井成樹から防衛し初防衛に成功。オレたちベテラン軍を離脱した望月成晃とドラゴン・キッドと新ユニットを結成。またこの3人で8月10日に一度トライアングルゲートにも挑戦している。その当時のユニット名はパンタロンズだが敗れた地点で解散した。
9月9日、後楽園ホール大会にて、ユニット名をDia.HEARTSと発表し、初戦で初白星を飾った。
2015年6月14日、博多スターレーンで吉野正人の15th Anniversaryで敗北。オープン・ザ・ドリームゲート王座を吉野に奪われるが、それまでに7度の防衛に成功した。
7月20日、神戸ワールドで、ビッグR清水と共に、犬猿の仲である鷹木信悟とZERO1田中将斗とスペシャル・タッグマッチを行ったが、鷹木のパンピング・ボンバーに敗北。
10月17日、神戸サンボーホール大会での6人タッグマッチで問題龍に変形水車落としを決めて左肩を脱臼し、その左肩をYAMATOと土井にさらに痛めつけられYAMATOに敗北。
10月18日、多治見大会を欠場、以降長期の欠場に入る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「B×Bハルク」の詳細全文を読む




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