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1986年のマリリン : ミニ英和和英辞書
1986年のマリリン[せんきゅうひゃくはちじゅうろくねんのまりりん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 

1986年のマリリン : ウィキペディア日本語版
1986年のマリリン[せんきゅうひゃくはちじゅうろくねんのまりりん]

1986年のマリリン」(せんきゅうひゃくはちじゅうろくねんのマリリン)は、1986年2月に発売された本田美奈子のシングル(EP: WTP-17820)。
== 解説 ==
シングルでは本田美奈子最大のヒット曲であり、アイドル時代の代表曲とされている。現実に2005年11月6日に本田が38歳で亡くなった後、訃報に関する記事の大多数が、代表曲として「1986年のマリリン」を挙げていた。
作詞は秋元康。前シングル「Temptation(誘惑)」がスマッシュヒットになったものの、各種ランキングの10位以内に届かなかったことが、本田にとっては非常に悔しいことであった。「もっと強く自分の個性を打ち出せる楽曲を」と希望する旨をスタッフと協議し、当時作詞家としても勢いに乗っていた秋元に作詞の依頼をした。秋元とは1985年5月からニッポン放送ヤングパラダイス』内の箱番組「KIDS IN TOSHIBA かぼちゃークラブ」で共演しており、お互い気心の知れた仲であった。
秋元は、本田の気質や歌手としての資質、宿命などをキーワードにイメージを膨らませていったところ、貪欲なまでのプロ意識を持ってトップスターに上り詰めたマリリン・モンローが頭の中に浮かんできたという。「マリリン」というサビの部分とタイトルが決まり、そこから歌詞のストーリーを組み上げていったという。また、当時マリリン・モンローの再来と称され、強くてセクシーで格好良い女性の代名詞と言われたマドンナも楽曲のトータルイメージとしてインスパイアされている。
曲とともに「ヘソ出しルック」も大変話題となった。そのセクシーな衣装を身に纏い、曲のサビでは激しく腰を振る挑発的なダンスを披露した。どちらも、それまでのアイドルとは異なったことをしたいという本人の希望から生まれたものである。
1986年2月20日TBS系『ザ・ベストテン』で、念願だった初のランキング入りを果たす。同番組の出演は、1985年6月6日にデビュー曲「殺意のバカンス」で「スポットライト」コーナーに初出演を果たしてから約8ヶ月ぶりとなる。なお、同曲でフジテレビ系『夜のヒットスタジオDELUXE』にも初出演を果たしている。以降、次々とヒット曲を世に送り出して多くの音楽番組の常連となった。
本田の生前、本曲をカバーした歌手はいなかったが、死後5年経った2010年水樹奈々がアニメ『WHITE ALBUM』キャラクターソングシングル『POWDER SNOW』カップリングで本曲をカバーし、本田以外の歌手による初のカバーとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1986年のマリリン」の詳細全文を読む




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