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鈴木久嗣 : ウィキペディア日本語版
鈴木久嗣[すずき ひさつぐ]
鈴木 久嗣(すずき ひさつぐ、 1970年- )は、日本陸上競技選手。愛知県知立市出身。知立市立竜北中学校中京大中京高校中京大学卒業。

== 略歴 ==

*1992年:日本選手権100m優勝。 バルセロナオリンピック4×100mリレーに出場。
 *戦後初の決勝進出を果たし6位入賞、アジア新記録(38秒77)を樹立。(1走青戸慎司、3走井上悟、4走杉本龍勇
*1993年:日本選手権100m3位。 バッファローユニバーシアード陸上男子400mリレーに杉本龍勇、井上悟、宮田英明とともに出場し、2位。
*1995年: 世界陸上選手権イェーテボリ大会4×100mリレーに伊東、井上、伊藤とともに出場。
 *決勝進出を果たし5位入賞、準決勝で当時の日本新記録(38秒67)を樹立。
  ・同年、宮内庁より秋の園遊会に招待され、天皇皇后両陛下にお声を掛けられる。
中学時代には全日本中学校選手権走り幅跳び優勝している。
当初は走り幅跳びの選手だったが、高校入学後に100mに転向した。その年の1986年、高校1年生のみで開催された1年生大会に於いてリレーの名門・名古屋学院(永田・吉田・木村・大坪)に僅差で敗れはしたものの、他校のアンカー4人をゴボウ抜きし2位でゴールした走力は圧巻であり、そのレースが彼にとって短距離にのめり込んで行く原点となっていたのは間違いない事実である。また鈴木率いる個人走力に勝る中京高校と、日本一とも称されたバトン技術が武器の名古屋学院高校とで、共に3年間インターハイに向けて切磋琢磨し合い、共に向上していったライバル校が有ったという事も鈴木にとってリレーに対する楽しみや、やりがいとなっていた理由のひとつである。
そして山口で開催された高校総体では、1年生ながら中京高校の4×100mリレーメンバーに選出され、そればかりか鈴木はアンカーをも任された。中京高校は順調に決勝まで進んだが、決勝レースでまさかの敗北・・・。鈴木は優勝を狙える順位でバトンを受け取ったにも関わらず、ライバル4~5校にブチ抜かれて表彰台をも逃してしまった。しかしその経験こそが後に彼を更なる高台へと導くこととなる。日本人離れした美しいフォームと、情熱を込めた力強い走りが融合し、どんどんと成長していった。そしてその集大成として高校3年生の夏、兵庫で開催された全国高校総体に於いて、奇しくもアンカーとして再び出場し、更には決勝まで勝ち進んだ。鈴木は2年前の借りを返すが如くライバル校を次々と抜き去り『41秒05』という当時では驚異的なタイムで『全国制覇』という偉業を成し遂げた。(優勝メンバー:赤羽・榊原・桜井・鈴木)
この運命のようなドラマは彼が選ばれしきスプリンターであった事の何よりの証であり、後の陸上人生に大きな影響を与えたと言える有名なエピソードで且つ奇跡の物語である。
体型や走り方が カールルイスにかなり似ていたため、 ルイス鈴木と呼ばれていた。面倒見もよく後輩からは憧れの存在であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鈴木久嗣」の詳細全文を読む



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