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釘宮辰生[くぎみや ときお]
釘宮 辰生(くぎみや ときお〔関西学院の公式サイトより「たつお」ではなく「ときお」という読み方が正しい。関西学院大学の公式サイト 〕、1872年3月 - 1947年9月13日)は日本の牧師、アメリカ南メソヂスト監督教会の最初の日本人監督。祈りの生涯を送った。関西学院との繋がりが強い。 ==生涯==
=== 初期 === 大分県北海部郡海添村内畑に、釘宮伝四郎を父、シゲを母として生まれた。幼名は和作。父は役所で土木関係の仕事をしていたが、大分県での勤務を命ぜられ、大分へ移った。そして、転勤のために小倉県、福岡県、さらに対馬に引っ越した。1882年再び大分に戻り、父は別府浜脇の村役場に勤めた。1885年に父親が急死した。残された母と祖母と辰生の三人家族で貧しい生活を始めた。 明治18年(1885年)に大分尋常中学校が新設された。釘宮家は貧しかったが、母は辰生の願いを聞いて入学させた。しかし、経済的に困窮して、2年で退学した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「釘宮辰生」の詳細全文を読む
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