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金文起 金文起(김문기、1399年 - 1456年)は朝鮮の文臣。初名は孝起、汝恭、号は白村、馬巖。本貫は金寧金氏忠義公派、三忠臣の一人。端宗に忠義を尽くしたが、南孝温の《秋江集》六臣伝の六臣’には入っていない。 現在、ソウル特別市銅雀区の鷺梁津死六臣公園に家廟が設置されている。〔한국민족문화대백과(한국학중앙연구원 출판) 참조〕 == 生涯 == 父親金観(領議政追贈)の喪に服すため、3年間官職を与えられなかった。以後芸文館検閲、司諌院左献納、咸吉道都鎭撫、兼知刑曹事、兵曹参議、刑曹参判などを歴任した。初めの名前は孝起だったが、舅の名が孝貞のため、文起に直した。息子金玄錫は寧越郡守で、在職中文起と共に殉節した。 1455年、世祖が王位を簒奪すると、隠密に端宗復位運動を推進した。しかし、途中で金礩、鄭昌孫の裏切りで計画が露呈すると、 成三問、朴彭年、河緯地、李塏らは逮捕され、柳誠源は自決した。金文起は酷い拷問にも耐えて、忠節を曲げず、軍器監の前で凌遲處斬にあった。〔
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金文起」の詳細全文を読む
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