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『もしもお許し願えれば女について話しましょう』(もしもおゆるしねがえればおんなについてはなしましょう)は、1976年10月に平田満がリリースしたシングルである。 == 略歴・概要 == 2枚前のシングルで東北弁ラップの先駆『愛の狩人』(1976年2月5日発売)のヒットの余韻で出したラテンファンク民謡である。ジャケット写真も『愛の狩人』の別テイクを流用している〔シングル『もしもお許し願えれば女について話しましょう』のジャケットの記述を参照。〕。 この長いタイトルは、1964年のエットーレ・スコラ監督の映画『もしお許し願えれば女について話しましょう』からの明らかな引用である。この映画も、ひとりの主人公が複数のシチュエーションでくりひろげる艶笑ショートコント集である。『愛の狩人』も同様の構成をもち、平田満への「イタリア式コメディ」の影響は深刻である。 『もしもお許し願えれば女について話しましょう』は、歌詞はイントロの「もしもお許し願えれば女について話しましょう」という語りから始まり、笑い声で女性を4種類に分類・分析し、4部構成で解説する〔。平田自身の『愛の狩人』や、のちの由紀さおりの楽曲『う・ふ・ふ』(1977年)、あるいは3部構成の松本隆作詞群である三木聖子の『三枚の写真』(1977年)、五十嵐夕紀の『第一印象』(1978年)等と同様の構成である。楽曲に関しては、編曲に小笠原寛こと手使海ユトロが起用され、チョッパー・ベースに特徴のあるファンクが形成され、歌唱は『東村山音頭』を正調で披露した徹底した民謡調である。『運命が二人を分かつまで』の曲調・歌唱は、イントロから徹頭徹尾、内山田洋とクール・ファイブ『中の島ブルース』(1975年)に酷似した堂々たるムードコーラス歌謡である。 一発屋で知られる平田の2枚目のシングル『東村山音頭』は志村けんのレコードより速く発売されたが、当然テレビ番組『8時だョ!全員集合』での同曲の人気への便乗である。B面は『ビューティフル・サンデー』である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「もしもお許し願えれば女について話しましょう」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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