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谷岡敏行 : ウィキペディア日本語版
谷岡敏行[たにおか としゆき]
谷岡 敏行(たにおか としゆき、1922年3月18日 - 1953年12月13日)は日本騎手
== 略歴 ==
北海道静内町神森生まれ。谷岡牧場を経営する谷岡家の一族である。
日高御料牧場の獣医の紹介で稲葉幸夫に弟子入りし、1937年秋の横浜競馬場で、エイカブに騎乗して初出走したが、結果は落馬であった。翌日の障害競走でオンタケに騎乗し、初勝利を挙げている。
1943年に応召され、1945年の終戦を受けて実家に戻ったが、やがて1947年に稲葉厩舎に戻って騎手に復帰した。1948年東京優駿競走では、ヒロトシに騎乗して3着に入ったが、翌年の競走では6番人気のミネノマツに騎乗して落馬し、2番人気のヤシマドオターも巻き添えを食って落馬するなど3頭の落馬もあり、タチカゼの勝利による大波乱の結末となった。
その後も稲葉厩舎の主戦騎手として騎乗していたが、1953年12月13日の第6回中山競馬4日目第10競走で行われた第5回朝日杯3歳ステークスにおいて8番人気のテルフジに騎乗、第3コーナーで落馬転倒して直ぐに医務室に運ばれたが、頭蓋骨骨折により死亡が確認された。31歳だった。
なお谷岡の事故以来、中央競馬の重賞競走においては殉職騎手は出ていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「谷岡敏行」の詳細全文を読む



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