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竹本政太夫[たけもと まさたゆう] 竹本 政太夫(たけもと まさたゆう)は、義太夫節の太夫。竹本派でも重要な名跡。 == 初代 == (元禄4年(1691年) - 延享元年7月25日(1744年9月1日))本名は紅屋長四郎。 幼少から浄瑠璃、音曲に親しみ、竹本義太夫に入門したが小声だったため竹本座にも出演が許されず若(和歌)竹政太夫と名乗って豊竹座へ出勤。1712年に師・義太夫の許しを得て竹本座に出勤。1714年に義太夫没し後継問題が起こり1715年に竹本姓が許され、竹本政太夫の名に改名。1716年11月に「国性爺合戦」の三段目を語り大当たりする。これが数年にあたりロングランヒットをとげ義太夫の後継者に位置づけされ、18世紀前半期の竹本座で活躍。1734年に師名の義太夫を襲名する。1735年に受領し竹本上総少掾藤原喜教、1737年に再受領し初代竹本播磨少掾を名乗った。 小声で悪声ながら写実的な人間描写や人情語りで評判だった。 政太夫が口伝を門弟が書き残した『音曲口伝書』(1773年著)が残されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹本政太夫」の詳細全文を読む
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