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竹内正巳 : ウィキペディア日本語版
竹内正巳[たけうち まさみ]
竹内 正巳(たけうち まさみ、1906年〔 - 著者略歴〕 - 1986年7月24日〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕)は、日本経済学者。専門は、地域経済論
== 経歴 ==
兵庫県佐用町出身〔父の25回忌を前に 音田昌子のくらしと文化研究所〕。大阪府立高津中学校(大阪府立高津高等学校の前身)、高知高等学校高知大学の前身のひとつ)に、いずれも1期生として学び、高知高ではボート部を創設して活躍した〔「忘れえぬ人々 竹内正巳先生」pp.157-159。〕。1929年、京都大学経済学部卒業〔。在学中は蜷川虎三ゼミで統計学を学んだ〔 〕。
1930年代はじめから1945年まで、満鉄調査部に勤務し〔、東亜経済調査局の報告書などにもたずさわった。戦後、ソ連によるシベリア抑留を経験する〔。
1950年に帰国し、以降、経済企画庁の前身である経済安定本部勤務〔、経済審議庁調査官、愛媛県企画室長を経て〔、1954年ころに大阪府立商工経済研究所長〔大阪府立商工経済研究は、1950年に開設され、1987年に府立産業能率研究所(1925年設置)と統合して府立産業開発研究所となり、2010年に商工労働総務課に統合されて大阪産業経済リサーチセンターとなった。〕として大阪へ戻り、近畿開発促進協議会事務局長なども務めた〔。
1965年7月、桃山学院大学教授〔。桃山学院大学では、産業貿易研究所長などを務めた〔のち、学園紛争期に学長を務めた〔〔。
1970年、「地域経済の構造と政策」により、大阪市立大学より経済学博士を取得。
1975年第8回統一地方選挙に際して行なわれた第8回大阪府知事選挙では、再選を目指す黒田了一知事への対抗馬として日本社会党公明党民社党社公民路線)に推されて出馬したが、結果は黒田知事の再選となった〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。
晩年には、南海道総合研究所所長として活動した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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