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福原広世 : ウィキペディア日本語版
福原広世[ふくばら ひろよ]

福原 広世(ふくばら ひろよ)は、南北朝時代の武将。安芸国国人福原氏当主。
== 生涯 ==
毛利元春の5男として生まれた。広世は備後国人で、同族であった長井氏の当主・長井貞広の養子となっていたが、貞広は九州探題今川了俊に従って九州を転戦中の南朝:天授元年/北朝:永和元年(1375年)に筑後で討死。そのため広世が長井氏の家督を相続して、当主となった。
父元春は南朝:弘和元年/北朝:永徳元年(1381年)に所領を兄の毛利広房に譲り、隠居したと推測される。長井氏当主となっていた長井広世にも安芸福原村等を与えられた。この後、広世は拠点を福原に移し、鈴尾城を構えて居城とした。
応永6年(1399年)の大内義弘の反乱(応永の乱)で、義弘が堺で討死の後、周防長門両国を守っていた大内盛見を討伐させるべく、3代将軍足利義満は西国の国人に支援を要請した。この時、足利義満は広世を毛利氏の総領家として認めて、大内攻撃に従事させた。また、今川了俊の覚えもめでたかったため、安芸三入庄も与えられるに至った。
しかし広世は、甥の毛利光房が成長すると総領家を返上して、その補佐に務めた。没年は不詳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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