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男性・女性 : ウィキペディア日本語版
男性・女性[だんせいじょせい]

男性・女性』(仏語''Masculin, féminin: 15 faits précis'')は、ローバジェット(低予算)、白黒フィルムによる、ジャン=リュック・ゴダール監督の1966年製作のフランス映画である。'Masculin, féminin: 15 faits précis'')は、ローバジェット(低予算)、白黒フィルムによる、ジャン=リュック・ゴダール監督の1966年製作のフランス映画である。')は、ローバジェット(低予算)、白黒フィルムによる、ジャン=リュック・ゴダール監督の1966年製作のフランス映画である。
== 概要 ==
本作のとりあえずの原作は、19世紀の文豪ギ・ド・モーパッサンの短編小説『ポールの恋人』(1881年)と『合図』(1886年)である。まるでいっしょに脚本を執筆したようにクレジットするのが、ゴダール式である。「15の明白な真実 ''15 faits précis''」と副題された通りの15のエピソードで、1965年冬のパリの若者の姿をダイレクトに捉える。
映画製作会社「アルゴス・フィルム」を率いる映画プロデューサーアナトール・ドーマンは、アラン・レネ監督の『二十四時間の情事』(1959年)のヒットを持ち、人類学者映画監督ジャン・ルーシュとおなじく社会学者エドガール・モランの共同監督作『ある夏の記録』(1961年)や、ゴダールの『アルファヴィル』(1965年)に多くの啓示を与えたクリス・マルケル監督の『ラ・ジュテ』(1962年)といった作品を手がけたドキュメンタリー/実験映画畑のプロデューサーであった。ゴダールとは本作が初の顔合わせであったが、シネマ・ヴェリテの手法をとりたかったゴダールにはうってつけの人物であった。
さらに助監督として、1918年生まれでゴダールにとっての大先輩である、撮影当時47歳のジャック・バラティエ監督が本作をアシストした。のちに長編ドキュメンタリー映画『想い出のサンジェルマン』(1967年)として結実する、短編ドキュメンタリー映画『''Désordre''(無秩序)』(1949年)を撮った経験と手腕が必要だったからだ。バラティエは本作が撮影に入る1965年、『女と男のいる舗道』(1962年)の助監督だったベルナール・トゥブラン=ミシェルと共同監督で『''L'Or du duc''(公爵の黄金)』を撮ったばかりで、同作の20歳違いの監督ふたりが、豪華すぎる助監督として『男性・女性』の演出まわりを固めた。
これまで『アルファヴィル』や『気狂いピエロ』に脇役として出演し、助監督も兼務していたジャン=ピエール・レオが初めて主演した。1965年の撮影開始当初21歳であったレオは、ヌーヴェルヴァーグセーヌ左岸文化の喧騒のなかで育った青年として、この役柄にぴったりであった。ショウビズの世界に生きる当時19歳の少女シャンタル・ゴヤも好一対であった。『勝手にしやがれ』(1959年)以来手がけてきた劇映画よりも、フランソワ・トリュフォーが『大人は判ってくれない』でレオにインタビューしてみせたようなシネマ・ヴェリテの手法をとり、ゴダールは初めて自分よりも15歳前後若い世代の生き方、考え方、文化に迫ることができた。
本作はスウェーデンとフランスの合作で、若者の文化と意識の問題を扱うのに、スウェーデン映画界の協力は必須であった。戦前からのスウェーデン映画を支えたスヴェンスク・フィルムインドゥストリ社とサンドリュース社は、当時、性先進国としていわゆる「スウェーデン・ポルノ」も製作していた。ゴダールとアンナ・カリーナ1964年に設立した製作会社「アヌーシュカ・フィルム」にとっての第3作であり、初めての合作映画であった。また「アヌーシュカ・フィルム」社は、ジャン・ユスターシュ監督に本作『男性・女性』の未使用フィルムを提供し、中篇映画『サンタクロースの眼は青い』(1966年)を製作した。一種のスピンアウト作である。
カメオ出演がいつにもましてゴージャスで、フランソワーズ・アルディブリジット・バルドーはよく知られているが、バルドーといっしょにカフェにいる男役には、新婚早々のゴダールとカリーナがとともに映画内映画出演しているアニエス・ヴァルダ監督の『5時から7時までのクレオ』(1961年)のクレオの相手役アントワーヌ・ブルセイエ。地下鉄の中の女役に『はなればなれに』(1964年)のクロード・ブラッスールの叔母役シャンタル・ダルジェ、いっしょにいる男役にモーリタニア系フランス人映画監督のメド・オンド。のちにそろってクロード・シャブロル監督の『女鹿』(1968年)に出ることになるドミニク・ザルディアンリ・アタルや、本作で俳優デビューし『メイド・インUSA』(1966年)や『ウイークエンド』(1967年)と立て続けにゴダール作品に出演することになるイヴ・アフォンソが出演している。またスウェーデン映画の中の女は歌手のエヴァ=ブリット・ストランドベルイ、『われらの恋に雨が降る』(1946年)に主演したイングマール・ベルイマン組の常連俳優ビルイェル・マルムステーンが起用されている。
撮影監督のウィリー・クーランはベルギー生まれのカメラマンで、ゴダールとはこれが最初で最後の作品となるだろう。彼は本作に入る直前、マラン・カルミッツの映画監督時代の初期短編をいくつも手がけていた。カルミッツは『5時から7時までのクレオ』でトゥブラン=ミシェルとともに助監督をつとめていたので、撮影現場で出演者のゴダールとすでに顔をあわせている。カルミッツといえば、奇しくも1979年ゴダールの商業映画への復帰を果たした『勝手に逃げろ/人生』の製作総指揮を執った、のちのMK2グループの総帥である。しかしカルミッツも『勝手に逃げろ/人生』一作で、ゴダールとは最初で最後の作品となるだろう。
ここで抱いた若い世代への興味が、翌1967年マオイストシネフィルの青年ジャン=ピエール・ゴラン(当時24歳)との出逢いを生み、そして『中国女』(1967年)や『たのしい知識』(1968年)などの若い世代だけのための映画へと発展し、さらには毛沢東主義への思想傾倒へ、シネマ・ヴェリテを旨とした映像製作グループ「ジガ・ヴェルトフ集団」(1968年 - 1972年)の結成へと、たった2年の間にゴダールをなだれ込ませていく。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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