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橋本 富三郎(はしもと とみさぶろう、1886年6月8日 - 1955年5月3日)は、滋賀県甲賀郡水口町(現・甲賀市水口町)出身の文化人〔『岡山人名辞典』306頁。〕、実業家 、地方政治家。 == 来歴 == 1886年6月8日、甲賀郡水口町に生まれる 。早稲田大学政治経済学科卒業〔後、倉敷紡績へ入社〔〔。万寿工場人事課長〔を歴任し、アメリカ視察〔〔も経験する。 帰国後は、倉敷中央病院事務長、倉敷絹織(現・クラレ)工場長を務め〔〔、その後、合同新聞(現・山陽新聞)社長となる〔〔。 戦後、1945年11月より、岡山市長に就任〔〔〔し、1947年まで1期務めたが、公職追放となる〔。 引退後は、俳句や書画道を楽しんだ〔〔〔松瀬青々に師事していた。〕。号は「魚青」〔〔である。 1955年5月3日死去。享年70。死後、「魚青句鈔」が出版〔されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「橋本富三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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