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楠木正遠[くすのき まさとお] 楠木 正遠(くすのき まさとお、弘長3年(1263年)? - 嘉元2年(1304年)?)は、河内国の土豪で、水銀で財を成した一族といわれている。楠木正成の父とされ、諸家系図には、正玄、正澄とも伝わる。 ==経歴== 『系図纂要』(橘氏系図)には「弘長三年生 楠五郎 刑部左衛門少尉 従五上」とある。また、嘉元2年(1304年)鎌倉で死去したとある。 本姓は橘氏。藤原純友の乱で武功のあった伊予橘氏の橘遠保の後裔とされる。『系図纂要』(橘氏系図)は正遠を橘遠保10世の末裔盛仲の子とするが、『尊卑分脈』(橘氏系図)や『太平記』は橘氏嫡流系統の為政の後裔とする。 諸説あり不詳。実際は、同じく橘姓の熊野国造和田氏の系統である和田刑部丞正俊の子とする伝えや、正成の母を橘盛仲の娘とする伝えを考え合わせると、正遠は盛仲の女婿となったものと考えられる。 楠木俊親(正俊)・正成・正季・正家らの父とされ、娘は伊賀の観世家の服部元成に嫁いで観阿弥の母親となったとされるが、真偽は定かではない。
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