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松風荘 : ウィキペディア日本語版
松風荘[しょうふうそう]


松風荘(しょうふうそう)はアメリカ生誕の地、フィラデルフィア市郊外のフェアマウント公園に建つ、本格的な日本建築及び庭園である。書院造りを基本にして、和風建築に造詣の深い、吉村順三〔Junzo Yoshimura, The Japan Architect JA59 Autumn, 2005〕によって設計され、木曽の国有林から切り出された檜を用い、宮大工棟梁、第十一代伊藤平左エ門が施工を管轄した。床(とこ)、違棚、付書院という書院造り特有の座敷飾りを持つ書院一の間、二の間に、茶室、厠、浴室、民家風の台所が付属している。広縁を介して日本庭園につながる構成は、伝統的な日本建築の特徴をよく示している〔藤岡洋保、「松風荘ー古建築の姿を借りた吉村順三の”現代建築”」、新建築、2004年11月(No.79),p145-151〕。
松風荘は戦後間もない1954年(昭和29年)に、日米友好関係の再構築を願う官民あげての努力により、日本からアメリカへの贈り物として、ニューヨーク近代美術館 の中庭に建設・展示された〔柳田由紀子、「フィラデルフィアの書院造り」、CONFORT, July,2004 (No.78) p128-131〕。2年間で25万人が見学するほどの好評を博した後、現在地に移転された。その後管理が行届かずに荒廃してしまったので、1976年米国生誕200年祭を機に、フィラデルフィア市からの依頼に応じ、日本からの基金によって修復工事が行われた。1999年には屋根職人が日本から渡米して、檜皮(ひわだ)屋根の総葺き替えを行なった。2007年に世界を舞台に活躍している日本画家、千住博が襖絵20点を奉納し、モダニズム表現の滝の絵が展示されている。

==歴史的背景==
ニューヨーク近代美術館 (MoMA)は第二次大戦後に郊外住宅が多数建設されるようになった状況を見て、アメリカ国民にモダンリビングを啓蒙する必要があると考え、1949年から「House in the Garden」というシリーズ展を始めた。有名建築家が設計した住宅を同館中庭に2年ずつ実物展示するというものだった。初代はマルセル・ブロイヤーの有名なバタフライ屋根の住宅(1949)で、続いて工業化住宅で知られるグレゴリー・エインらによる住宅が展示された。同館の学芸員としてこの一連の展示をプロデュースしたフィリップ・ジョンソンとアーサー・ドレクスラー〔 Arthur Drexler, Letter to Takashi Komatsu, president of the Japan-America Society, March 20, 1953〕は近代住宅が日本の伝統的な住宅に似ていると考え、3つめの展示を日本住宅にすることにした。
文化交流を通して、日米の友好に尽力していたジョン・ロックフェラー3世が(ロックフェラー家はMoMA創立の際の中心的な存在で、その運営に深く関わっていた。 日本文化、それも特に民家に深い関心を寄せていた。)1953年に訪日し、この事業への協力を依頼した。太平洋戦争で戦った両国の絆を築き直したいと願っていた日本側はこの依頼に積極的に応じ、日本住宅を日本からアメリカへ贈呈することを決議し、日米協会が中心になって、民間企業270社などから建設基金を募った。外務省の有志も募金している。
ロックフェラーとともに来日したドレクスラーは、当初既存建物の移築も考えていたようだが、古建築を見学しつつ建築史研究者の意見を聞くうちに、書院造りが展示するのに最もふさわしいと考えるようになり、当時文化財保護委員会建造物課長で東大教授の関野克(せきの まさる)のアドバイスに従い、園城寺光浄院(おんじょうじ・こうじょういん)〔 http://www.shiga-miidera.or.jp/guide/index.htm〕をモデルにした建物を新たに設計して展示することにした。そしてその設計者に選ばれたのが当時東京藝術大学助教授の吉村順三だった〔 Arthur Drexler, Memorandum to the Museum of Modern Art, April 9, 1954〕。設計者の選定にはチェコ系アメリカ人アントニン・レーモンドが関係していると見てよい。レーモンドは1920年から日本で設計事務所を開いており、1938年にアメリカに帰国した際にはロックフェラーの仕事をしている。吉村はその事務所の所員で、ニューヨークのロックフェラー・センターにあった日本文化会館の茶室の設計などのため、レーモンドに呼ばれて1939年から1年間アメリカに滞在していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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