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松野菊太郎[まつの きくたろう]
松野 菊太郎(まつの きくたろう、慶応4年1月23日(1868年2月16日) - 昭和27年(1952年)1月25日)は、日本の牧師。日本のホーリネス運動の草分け。 ==生涯== 1868年に甲斐国(現・山梨県甲府市下曽根町)に生まれた。1888年渡米する。アメリカで回心してキリスト教に入信する。メリマン・ハリスから洗礼を受ける。1891年サンフランシスコでリバイバルを経験して献身した。 帰国後、笹尾鉄三郎らと共に「ちいさき群」を名乗り、東京で伝道した。後に、小崎弘道と共に霊南坂教会の牧師になった。後に、日本クリスチャン教会の麻布教会(現・日本基督教団聖ヶ丘教会)の牧師になった。牧会と同時に、結核患者の救済や超教派の活動を行った。 1933年ホーリネス分裂事件が起こり、2年後の1935年11月28日に鉄道ホテルで行われた、日本ホーリネス教会の中田重治監督派と車田秋次委員会らの和協午餐会に出席した。松野は司会の星島二郎に指名され語った。アブラハムが死んだ時、イサクとイシュマエルが仲直りして葬式を行い。イサクが死んだ時には、エサウとヤコブが仲直りして葬式をしたという創世記の出来事を引用して、「中田が死ねばきっとみんな一緒になるだろう」と皮肉った。〔米田勇『中田重治傳』499ページ〕 後に、キリスト教界の重鎮になり、日本キリスト教同盟幹事、教文館総主事などを務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松野菊太郎」の詳細全文を読む
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